Spilt Pieces
2003年06月29日(日)  トマト
高校の頃からの友人に久しぶりに再会した。
彼女は福祉系の学科に通っていて、東京まで毎日数時間かけて通っている。
今日も卒論の関係で東京へ出かけていた。
帰宅を待って、夕方近くに会うことになった。
駅まで迎えに行く。
笑いながら近づいてくる彼女の表情は、昔と変わらない。
懐かしさと安堵した思いで、助手席の鍵を開ける。


いつの間にか、卒業してから3年以上が経過した。
この前まともに会ったのは確か大学2年の頃。
お互いの近況を報告しあう。
話す内容で、時間の流れを実感する。
そういえば、以前はサークルや恋愛の話で盛り上がっていたような。
今日は、自分の進路や将来についての話がメインになった。
不透明な未来。
だけど楽観主義な私たちは、なぜか笑って理想と現実の痛みを話してしまったりする。
結局のところ、自分にもいつかは何かができると信じていたい。
それが若さなのかもしれないし未熟という証拠なのかもしれないが、こういう考え方は大切にしていたいと思う。
我ながら、嫌いではない視点。


暑さも薄らぐ午後の風。
初めて入るカフェ。
オレンジティーを頼んだ。
ストローで氷を沈めては遊ぶ。
ガラスのコップに入った氷はカラカラと音を立てて、夏の訪れを告げるかのよう。
コップの周りに水滴がつき、持ち上げるたびにぽたぽた垂れる。
溶けていく氷。
2年近くも会っていないだなんて忘れてしまうかのような、穏やかで、いつも通りの時間。
そういえば高校の頃はいつも一緒に帰っていた。
汗を流して自転車を漕いで、自分の夢を語っていた。
今は、車に乗ってお洒落なカフェへと向かうことができるけれど。
何となく、懐かしさに混じった寂しさ。
それを感じられるほどに、お互い変わっていない。
そんな空間が好きだとも思う。
複雑。


彼女は、いつも優しい顔で笑う。
普段早口な私も、彼女と話していると同じペースでゆっくりしゃべる。
合わせている、という感覚もない。
彼女と同じ空気で話している時間、私も気持ちがゆったりして楽になる。
日々の慌しい生活の中、ややもすれば忘れてしまいそうなことを思い出させてくれる人。
自分が彼女を好きだと思う理由。
「他人のため、を考えないと動けない」
と言って悩んでいた彼女は、優しすぎるがゆえに苦しんでいた。
「自分のためだけに何かができなくて、それに、他人のため、というのも私の利己的な欲求に拠るものなんじゃないかと不安になる」
自分のことばかり考えてしまう私。
彼女のような考え方に触れることは本当に刺激的。
誰かの喜ぶ顔が何よりも好きだと、静かだが真っ直ぐな目をして言う。
いつも「何もできない」という彼女。
自分の魅力に気づいていないのだろうが、私は彼女にはずっと今のままでいて欲しいと勝手に願ってしまう。
何かしてあげる、ということで相手に押し付けしていないか、相手はどう思っているのか、そういうことを常に考えてはバランスの取り方で悩む人。
友人に恵まれた、と思う。


カフェを出て、まだ少し時間があったのでおしゃべりしながらドライブへと出かけた。
突然の大雨。
道路の隅に溜まった水が跳ねて、フロントガラスが覆われる。
その度に大騒ぎして、笑った。
「よそ様のお嬢様を事故に巻き込ませては申し訳ないですから」
笑いながらもハンドルを握り締めていた私は、おどけた口調で変なことを言った。
そんな些細なことにも、明るい声で笑ってくれる。
普段は嫌いな雨も、楽しくなってくる。


雨上がりの空。
ふと出かけた筑波山は、雲が色づいて少し神聖な空気。
石でできた階段、土の道。
ほんの数分だけの散歩。
穏やかな時間が過ぎていく。
何をするでもない、ただ話していただけ。
他愛もない言葉の繰り返し。
こんな時間が好きで仕方がない。
「勉強もしないとね」
高校の頃から、二人の口癖。
言うばかりでなかなか進まないところも、お互いきっと変わっていない。


暗くなって、車のヘッドライトがつき始める。
彼女を送りに家へ向かう。
私の実家から、10分くらいの距離。
「わざわざありがとう」
遠回りをしたわけでもないし、付き合いも長いのに、礼儀正しさを忘れない。
「また近いうちに遊ぼうね」
そう約束して、車を降りる直前。
持っていたビニール袋の中から、「おすそわけ」と言ってトマトをくれた。
「今日行った施設の方にもらったんだけど、よかったら食べて」
大きくて、綺麗な形の立派なトマト。
「あ、でもお母さん気にする?」
ふと、窺うような様子でこちらを見るので驚いた。
「気にするって、何を?」
「私が行ってた施設、病気の方々がいるようなところなんだけど、そういうところの人がくれたものを嫌がる人、たまにいるから」
「そんな人いるの?気になるわけないよ」
「よかった」
嬉しそうに笑う彼女の顔が、印象的。


正直言って私は、自分の中に偏見が全くないとは断言できない。
大学に入って、身体や知的に障害を持つ方々の施設へ行ったり養護学校を参観したりという経験をさせてもらった。
そこで色んな方と話をするようになって、初めて平気になった。
全く経験のなかった高校の頃の私はそれこそ偏見の塊だったのかもしれない、と今さらながら恥ずかしく思う。
「かわいそう」と思わないにしても、「大変そう」だとは思う。
そんな思いまで無理に消すのは不可能。
ただ、「特別」だとは思わないようにした。
少なくとも、変な目や好奇で見る対象でもないし、嫌がるのもおかしい。
私は幸運だ。
幼い頃に偏見を拭い去ることのできるような経験をすることなく育ってしまったものの、社会に出るギリギリ一歩手前の大学時代にたくさんの経験をさせてもらえた。
すぐさま変わることは無理かもしれない。
だから、偏見がないとは断言できない。
けれど、少しずつでも今の調子で前進していけたなら、とだけ思う。
私は、聖人なんかじゃないし、醜いところもたくさんある。
だからいつも悩むのだろうが。


今日会っていた彼女は、いつだって人を見るときは澄んだ目をして真っ直ぐ向かう。
トマトを差し出しながら不安そうだったのはきっと、これまでにそれを拒否ないしは不快な感情で避けられた経験があるからかもしれないと、何となく思った。
「よかった」と言って笑ったときの表情が、これからたくさん増えるような世の中になるようにと願うばかりで。
私もいつか、彼女のような顔で笑える人間になりたいと思った。
素敵な時間を、どうもありがとう。
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