Spilt Pieces
2003年06月20日(金)  役割
私が「私らしく」あることは、きっと私のせいばかりじゃない。
自分で定めたわけでも、望んだわけでもないけれど。
いつの間にか、何となく、流れの中で決まっていくこと。
時折それに抗しようとし、その度力尽きては項垂れる。
誰が決めるわけでもない。
だからこそ変えがたい。


もしも私の生まれる年が、ほんの数年違っていたならば。
今親しい人と他人行儀で、今他人行儀な人とも親しくなれたかもしれない。
「個が大事」と言いながら、そうとも限らないのが社会の実情。
それとも単なる日本の慣習か。
今自分の傍にいるのは、年齢とか、立場とか、それらを考慮に入れた上でたまたま近くにいた人?
こんなことを考えると、少なくとも周りの誰かを傷つける。
でも、別に今の関係を否定したいわけじゃない。


ほんの少し違うというだけで、知ろうという努力ができない。
それが悲しい、だけどきっと私もそう。
自己紹介のとき、年齢を言う習慣などやめればいいのに。
年功序列、年上を敬うという日本の風習。
もう随分と昔に入ってきた儒教。
それを美しく思うこともあるけれど、足枷に感じることもある。
自分だけが何かを変えようとしても無意味。
だって、全体がそういう流れの中で落ち着いてしまっている。


私が敬語を使う理由。
それは単に、「面倒」だから。
私がいくら同じ目線で話をしたいと思っても、相手がそれを許してくれなければただの無礼者。
気にするなと言って笑ってくれる人もいるけれど、そこは人間の本音と建前、どこまで信用したらいいのかも分からない。
打ち解けて話したい人に、たかだか表面的なくだらないことで避けられるのは嫌。
だから、とりあえず敬語を使う。
そうすればきっと、距離は縮まらずとも開きはしない。


今課せられている役割は、一体何だろう。
私は大学4年生で、家族の中では長女。
サークル内での役割、高校時代の友人たちの中での立場。
必ずしも、今の自分と合うものとばかりは限らない。
それでも、周りに期待されているはずの「自分」の役割を果たした方が楽。
あえて破って均衡を崩すのは、面倒くさがりの私には好ましくないこと。


幼い頃は何もなかった。
年下も年上も、それこそ性別さえも。
いつからか、私は私の役割を自覚し始めた。
ひょっとしたらそれは、周りではなく私自身が勝手に感じてしまっているだけのものなのかもしれない。
でも、もし今私が別の性格を表面化したなら周りは何と思うだろう。
知らない誰かのために自分がいるわけではない。
けれど、誰との関係も省みず、ただその場その場の自分を表現しながら生きられるほど、社会はきっと甘くない。


時折襲う、ジレンマ。
余計な垣根関係なく、誰とでも話せる機会があればいいのに。
それを実行するほど子どもではないけれど、全てを割り切れるほど大人でもない。
高校生だった頃、自分の枠を破りたくて仕方がなかった。
でも、その枠が目に見えない分、何をどうしたらいいのか分からなくて泣いた。
今の私は滅多に泣かない。
泣いても、人にその姿を見せることなどしたくない。
ただ妙に冷静な目線を保ちながら、そんな自分に溜息をつく。
あの頃悩んだ枠はきっと、私固有の殻だったわけじゃない。
それよりも厚く、もっと堅い社会的役割という名の殻が押さえ込んでいたのだろうと考える。


何事にも、疑問を持たなければ楽なのに。
怠け者な割に、やや損な性格。
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