| Spilt Pieces |
| 2003年06月18日(水) コドモ |
| 大通りを運転していたら、小学生が後ろをついてきた。 …とは言っても実際は、免許を取得できるような年齢の人だ。 若い、もしくは免許を取りたてなのだろうと思った。 その人の行動は、とても子どもじみていた。 沿道で、たまに一生懸命ペダルを踏みながら自転車競走している小学生を見かける。 彼らは自分たちの勝負のことで頭がいっぱい。 体が左右にぶれていて、隣を通り過ぎるのが何だか怖い。 今日見かけたのは、左右に車をゆすりながら迫ってくる車体の低い車。 前が詰まっているのに、じっと待つことができないらしい。 バックミラーで顔を確認すると、予想とは異なり30代か40代くらいの男性。 怖いというより、かわいそうだなと思った。 昨日、学校帰りにコンビニへ寄った。 レジへ向かうと、そのすぐ傍でタバコを手に取ろうとしている男性がいた。 レジに並んだのは私の方が早かったようだが、傍にいる人を追い抜くのも何だか申し訳なかったので譲った。 その人は少し遠慮がちに歩みを進めて、会計をして去った。 店員の人に対する態度も丁寧な雰囲気。 肩に大きな刺青がしてあったので、少し意外に思った。 外に出ると、クマのプーさんのキーホルダーが下げられた小さな白い車に乗り込み、中で待っていたギャルっぽい彼女と一緒に駐車場を出て行った。 派手な装飾も何もない、どこにでもあるような車。 ただ違うのは、その人の肩に大きな刺青があったということだけ。 何だか、嬉しくなった。 何でもルールを守るべきだとは思わない。 法治国家においては「悪法も法」と考えなければいけないのかもしれないが、法律に詳しいわけでもない私はその辺りいいかげんだ。 悪法を律儀に守る必要がどこにあるのか。 それを守らせる方法を模索するよりも、悪法が作られないような社会や人間を育成することに力を入れたほうがいいと思う。 「くだらない」と言いながら皆が守るから悪法の肩身も保たれてしまうのだと。 自分の生活の基盤となる法が悪法ではないか、各自が判断できるだけの能力を持っている、そんな社会と教育が必要なのだろうと思う。 横道に逸れてしまった。 私は、元々が不完全な法であるから、それを律儀に守ることができる人=大人、だとは思わない。 だから社会的に見て「大人らしからぬ」行動をとっている人がいるとしても、それがきちんと考えた上でのものならそれはそれで構わないと思う。 だが、今日後ろで車を運転していた人は、考えてそういう行動をとったわけではなかった。 渋滞していて、先へ進めないのに進めない状況。 それに対する苛立ちを、衝動的に表現していたにすぎない。 仮に彼が周りに対して威圧感を与えることで自分の「大きさ」を誇示しようとしていたなら、他に方法を思いつかないことが悲しい。 不安や恐怖感を与えることでしか自分を表現できないのは、思春期の青年ならまだしも大人の方法じゃない。 成長には個人差があるし、それを責めることはできないが、ただ可哀相な人だと思った。 私のような若輩者にまで同情される彼は、曲がり角で別れた後、誰にどんなことを思われただろう。 大人が、いつだって冷静でいる必要はないと思う。 感情的であることが求められる場面だってあるはずだし、常に気持ちを抑えていたら爆発してしまう。 でも、それは場面を選ばなければならない。 一時の衝動で周りを巻き込むだなんて、小学生のイタズラを見ているかのようだ。 …いや、最近の小学生には早熟な子も多いので、同じ扱いをしたらむしろ非難を受けそうな気さえする。 どこからが大人で、どこからが子どもかなんて、分からない。 境界線を引くことにもそれを求めようとすることにも私は共感できない。 ただ、今日見た「コドモな大人」にはなりたくない、と思った。 自分は今、どれくらいの位置にいるのだろう。 |
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