Spilt Pieces
2003年06月16日(月)  写真
最近写真を撮っていない。
教育実習のとき、クラスで集合写真を撮った以外はここ数ヶ月カメラを手にした記憶がない。
…とは言っても、風景や花の写真は撮っているので、要するに自分の顔、という意味でだが。
デジカメを持つと、私は人物を無視する。
人間が入っているものを撮りたがるのは、どうしてか大抵インスタントカメラを持っているときだ。


みんなでワイワイ盛り上がっているような場合、動きを止めさせて写真を撮る人というのはあまり好まれない。
しかし時が過ぎてみれば、形に残るものがあまりないというのもあって、求められるようになる。
そしていつも私は、カメラを持って歩いてはいても取り出さないという立場をとる。
「これは残しておきたい」と思ったときに、なおかつそんな余裕がある場合のみ、鞄から500円くらいで買ったカメラが出てくる。
ちなみに、「撮るよ」と言うばかりで「撮って」とは言えないのだが。
自分の顔を残しておくのには、どことなく、気恥ずかしさが伴う。


最近父が昔の写真の整理をしている。
昨夜、自分の中学校時代の写真を見かけた。
学校指定の薄紫色のジャージ。
肩も腕も足も細かった頃。
「痩せてたんだなあ」
感慨深げに見ていると、横にいた母が「でも当時は太ったと言って騒いでたわよ」と言葉を挟む。
そういえば、そんなこともあったような。
今から見れば、本当にガリガリだったのだが。
体型だけ8年前に戻らないものかと、無理な願望を持ちつつアルバムをめくる。


中学生の頃、まだ弟は私よりも背が低かったらしい。
くせっ毛な私のショートカットは、キノコのような不思議な髪型。
歯を見せて笑う顔は、きっとニキビ最前線。
肌が、赤くて痛々しい。
テニスをしていた。
ピンクの短いスコートを穿いて、眼鏡をかけた私と部活の仲間。
丸い顔でいつも怒鳴っていた、顧問の若い女の先生。
殴られては怖くて泣いていた。
それなのに、卒業式では私の肩を抱く先生の隣で、満面の笑みだった。
きっと、在学中というよりもすでに今の感情に近かったのだろう。


懐かしくなって、思わず小学生の頃のアルバムにまで手を伸ばした。
我ながら、10年以上前ともなると肌が白くて綺麗だと思った。
どの写真も楽しそうに笑っている。
痛い記憶、悲しい思い出、当時何を思って何をして何を見て暮らしていたのか。
写真に記録されていない全てが、色褪せる。
頭の中にはもう残っていない記憶。
それらを写真は蘇らせ、時々どこかを美化してしまう。
きっと、なかったはずの記憶さえ、生み出してしまえるような。


私は何を思っていた?
私は何を考えていた?
誰に尋ねても、返事などない。
私の記憶は、私の中にしかないというのに。
それさえも、時と共に曖昧になってくる。
さあ考えよう、昨日私は何を食べたのか。
ひょっとしたら、今朝の食事さえ覚えていないかもしれないというのに。


毎日は連続している。
私は、生まれてこの方生きるのをやめたことがない。
全ての記憶は私の中にあるはずだろう。
しかしそれらはいつもどこかの隅に隠れていて、時折呼び出そうとしてもどこの引き出しだったか思い出せない・開かない。
ただでさえ定かではなかった「記憶」という名の蓄積物は、写真がうろつき始めてからというものますます怠け者の様相を呈している。
そして私はきっと大きなミスを犯している。
写真はあくまでも「鍵」に過ぎないということ。
肝心の思い出は、私の中にしかないということ。
それを忘れてしまうから、自分のことのはずなのに、私は嘘さえも信じるだろう。
本物とよく似た模造品の鍵は、ない扉さえ開けてしまう。


最近、私は写真を撮っていない。
風景や花の写真は撮っているのだが、自分の顔を撮った記憶がない。
撮る必要や場面がないから、というただそれだけの理由。
そして今私は写真を撮らなくても特に困りはしない。
そもそも、ほんの数十年前までは写真などなかったのだ。
しかし、そうは思ってみても、私はいつか今の写真を欲するだろう。
生まれた頃から写真のある生活を送ってきてしまった私は、今さらどうにもならないくらい記憶に対して鈍感で。
今この瞬間自分がここにいることを確認することはできるけれど、次の瞬間、さっきまで自分がそこにいたことを確信するには頭だけじゃ足りない。
私はどこにいた?私は何してた?


何が本当か分からなくなる。
何が嘘なのかも分からなくなる。
そのうちに、私が私であることさえも分からなくのではないかと怖くなる。
「どこにどうして何の確信が持てようか」
「きっと、こんな時代だからだろう」
誰の囁き声とも分からぬ言葉が、頭の中で響くように。
そういえば、昔似たような詩を書いたこともあったっけ。


写真について。
記憶について。
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
もう止めにしようかと思う。
そして最後に1つ。
私が日記を書く理由は、日々のことを記したいからではない。
出来事日記ではない日記を、ここで綴る理由。
それはきっと、何をしていたかというやはり曖昧な現実よりも、とりあえずそのときその瞬間、何かを考えている自分がいたという確かな証拠を残したいだけなのかもしれない、と。


ああ、面倒くさい。
ごちゃごちゃ考えるのはどうも性に合わない。
…矛盾?
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