Spilt Pieces
2003年05月12日(月)  罪
さきほどテレビで、とある犯罪者の審理が終了したというニュースが流れた。
殺人に関与し、検察側は死刑を求刑。
弁護側は、脅迫されておりまともな精神状態ではなかった、無罪であると主張。
法については詳しくないので、詳しい話はよく分からない。
ただ、テレビで流れた次の言葉が気になった。
被告は「本当に申し訳ないことをした」と言っているという。
よく聞く言葉だ。


殺人や強盗といった一般に重罪と言われているような犯罪に限らず、日常生活における小さな罪であっても、それを本人が罪であると自覚しているのならば責められないことは逆に酷であるように思う。
例えば誰かを傷つけたとき、「いいよ」と言って笑われるのが一番辛い。
冷たい目で責められた方がどれほど楽だろう、と思う。
宙に浮いた感情は、行き着く先を失う。


何の根拠も持たない考えではあるが、本気で悔いている人には、死刑より無期懲役の方が重い罰なのではないかとぼんやりと思う。
なぜぼんやり、かというと、自分がそういう立場に立ったことがないから断言ができないというだけのことだ。
よほど強靭な精神を持つ者でない限り、罪の意識に苛まれてただ月日を重ねる日々は、苦痛なのではないか。
そう思うと、ましてや己に罪の意識がある者に「無罪」という判断を下すことは、法的に裁かれることなく世間の目には責められ続けるという罰を課されているような気がしてならない。
「本当に申し訳ないことをした」
この言葉が、心から出たものであるならば。


この手の裁判で、本当に無罪になることは多くないのだろう。
世間を騒がせた殺人事件で犯人が無罪となれば、確実に大きなニュースとなって報道される。
だから私が考えていることはあまり意味のないものかもしれない。
しかし、それでもなぜ敢えて減刑ではなく「罪が無い」と主張するのだろう。
法の世界のことは分からない。
だから、その世界に生きる人にとっては私の言うことなど茶番でしかないかもしれない。
それでも、なぜなのか、問いたくなるときがある。
話だけなら、単に犯罪者の名前が違うだけでどの事件も似通って聞こえる。
どこに人それぞれ固有の人生があるのか、垣間見えてこない。
感情が見えない、一様の展開に感じられてしまう。


本人の主張通りにばかりはいかないだろうから、表に出てきたことばかりから何かを判断するのは間違っているのかもしれないが、私は、本当に罪の意識を持つ人間が無罪を主張するとはどうしても考えられない。
反省の弁と主張とが、いつだって頭の中で矛盾を叫ぶ。
きっと私は社会における本音と建前を分かっていないただの子どもに過ぎないのだろう。
それを自覚していてもなお、この手のニュースを聞くたびにどこかしら違和感を覚える。
誰が何を思ってどうしてこうなったか、今何を考えているのか。
多くを伝えているようで何かが見えない。
そんないつも通りのニュースが、今日も流れている。
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