2010年03月08日(月)  幸福の果実。
 
仕事が終わり家に電話を掛け、御ハナに何か買ってくるものある? と訊ねると「リンゴとミカン!」と叫んでいたので、リンゴとミカンを買って帰ろうと近所の八百屋へ。
 
近所の八百屋。多分創業50周年くらいの老舗の八百屋。看板はなく店内はもうボロボロで置いている野菜や果物も十種類程度で商売する気が微塵も感じられないが、野菜や果物の質がものすごく良くて値段も安い。しかし大きな欠点がある。
 
「すいませーん」と、約10回唱えないと店のお婆さんが出てこないのである。約10回唱えたところで店の奥の扉がゆっくりと開き、腰がほぼ直角に曲がったお婆さんがお釣りに渡す小銭が入ったザルを持って「ごめんなさいねー」と登場するのである。
 
レジなどはない。ダンボールの上にそろばんが置いてあるので、そろばんの近くに御ハナから頼まれたリンゴとミカンをなんとなく置いて「これください」と僕が言う。そしてお婆さんが訊ねる。「いくらかね?」
 
僕は再びリンゴとミカンが陳列してある場所に行って値段を確かめる。リンゴ2個150円。ミカン1袋230円。合わせて「380円です」と言って千円札を渡すと再び訊ねられる。「いくらかね?」
 
1000円から380円を引いて「620円です」と僕が言うと、小銭が入ったザルから620円をかき集めてお婆さんは僕に渡す。
 
この店で果物を買っていつも心から良かったと安心するのは、無事に果物が買えたわけでも質が良いというわけでもなく、僕が極悪人ではなかったということで、客に商品の合計額ならびにお釣りの額を訊ね、それをそっくりそのまま鵜呑みにしてしまう店主なんて心配でしょうがない。僕はいつも商品の額を100円も200円も安い額を提示することができるし、1万円渡してお釣りが「9980円です」なんて言うことも可能なわけである。
 
しかし看板もなく陳列棚もダンボールでレジすらなく、いくつかの豆電球で灯されたボロボロの店内に小銭入りのザルを持ち、直角に腰が曲がったお婆さん一人がやっている店に悪人なんて寄りつかないのだと思う。あの八百屋には、そういったものを寄せ付けない不思議な空気が漂っている気がするのだ。
 
家に帰って夕食後にリンゴの皮を剥く。「パパ、リンゴどこで買ったのー?」御ハナが訊ねる。「魔法使いのお婆さんがくれたリンゴだよー」と低い声で言うとキャッキャキャッキャ笑いながら美味しそうに食べている。あの八百屋は、もう何十年も、こうやって幸福の果実を売っているのかもしれない。
 

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