2006年09月20日(水)  板橋心中。
 
今夜も妻とDVD鑑賞。ストーリーも終盤、とある登場人物が大怪我をした。いったいどうなるのか。助けはくるのか。奇跡は起きるのか。手に汗を握る展開。傍らのビールを飲みながら進展を見守る。
 
「……この人、死ぬんだよ」
 
!! 妻、突然のネタバレ。な、な、何を言っているんだ。どういうことだ。じょ、冗談だろ。そんなことないだろう。第一この物語の登場人物は何かしらの危機が訪れてもどうにか生き延びているじゃないか。まさか。し、死にゃあしないよ。
 
「だって私、このストーリー、ネットで読んじゃったんだもん」
 
わー! だったらホントに死ぬんだー! うっそーん! ここでこの人死んだらこれからどうなるんだよ。はぁ。死んじまうのか。こんなことがあるとはなぁ。こんなことというのは手に汗握る展開の最中にネタバレされるってことだよ。なんてことを言うんだ君は。見る者を驚かす急展開こそ映画を見る醍醐味だというのに、いかなる他意があってそんな大事なことを先に言ってしまうのだ。あ、ホントだ。ホントに死んじまった……。と、妻を見ると、悪魔のような笑みをニヤニヤ浮かべている。
 
「だってー、私だけ知ってしまったのって悔しいんだもん。言いたくて言いたくてもう苦しくって。私思ったの。この苦しさを共有するのも夫婦なんだって。だから私あなたに伝えたの」
 
なんてメチャクチャな理論なんだろう。自分がスッキリしたいがために言っただけじゃないか。道徳というものがない。喜びのときも悲しみのときも、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすという結婚式での誓いは、こういう苦しみの共有も含まれるのだろうか。だったらしんどい。これから一緒に映画を見るたびに、傍らでネタバレされる危険を常に抱えて生きていくことになる。神様はそこんとこどう考えているのだろうか。
 
あの時はウエディングプランナーのお姉ちゃんが「この場面で聖書に手を置いて下さい」って言ったから、聖書に手を添えて誓いの言葉を聞いたんだし、そもそもキリスト教ではないんだから、映画のネタバレの苦悩なんてのは共有しなくてもいいような気がするけどなぁ。まったくひでぇ嫁だなぁ。でも愛してる。
 

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