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| 2006年07月13日(木) 新しいスタート。 |
| 以前、妻に「明日の夕食何べる?」と訊ね、「なんでもいい」と答えられる悲しさについて書いた。翌日何食べたいか言ってくれるだけで、料理を作る方はどれだけ助かるかということを。そして僕も学生の頃、母親に同じことを訊ねられ、「なんでもいい」と答えてたことを。その時母親は悲しかっただろうということを。 先日の夕方、とあるファーストフード店で高校生のカップルがハンバーガーセットを食べていた。肩肘ついてその微笑ましい風景をぼんやり眺めていた僕は突然ハッとある考えにとらわれた。 「こいつら晩メシどうすんだ!?」 時計を見ると午後5時半。このカップルはハンバーガーセットを食って、それぞれの家に帰るのだろう。玄関で靴を脱いで、ただいまーと言って階段上がって自分の部屋に向かうのだろう。そしてその場面で母親は訊ねるだろう。「そろそろ夕食よー」そして高校生は応える。「あ、食べてきたからいらない」と。 なんと悲しいことだろう。母親は帰ってくる我が子の為に夕食を作っていた。しかし帰ってきた我が子は「食べてきた」と一言いって自分の部屋の中に消えてしまった。鍋の中には肉じゃが。皿の上にはレタスのサラダ。湯気を立てるは豆腐の味噌汁。全て我が子の為に。せっかく作ったのに。なんと切ないことだろう。 と、思ったのは、僕も学生の頃、部活が終わってから学校近くのラーメン屋でラーメンセットを食い、家に帰って母親に「食ってきたからいらない」と言っていた。そしてその行為に対して別に申し訳ないと考えたことがなかった。しかし年を取り、こうやって自ら夕食を作るようになり、仕事から帰ってくる妻を待つ身となった。もし仕事から帰ってきた妻が「食べてきたからいらない」と言えば、どれだけ悲しいだろう。 このように僕たちは、これといった親不幸はしてこなかったにしろ、小さな親不幸をいっぱいしてきたんだなと感じるようになった。親孝行をしようとした時に親はいなかったという話をよく聞くが、本当に親の苦労は、親になってみなければわからないのだ。 これから子供が産まれて、僕は名実共に父親となる。そして様々な場面で幼き自分を我が子に反映させて、自分という親を、そして自分の親のことを考えるだろう。僕は我が子に何を思うだろう。母に何を思うだろう。結婚は人生の墓場なんかじゃ決してない。今まで気付かなかった様々なことが突然目の前に現れる新しいスタートなのだ。そんなことを考えながら場末のファーストフード店で今夜の夕食のメニューを考えていた。 |
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