2002年12月26日(木)  棒と穴。
昨日の深夜、ベッドの中でテレビをつけたら「しゃべり場」をやっていたので
眠くなるまでしばらく10代同士の多様な感性と価値観をぶつけあうトークバトルを眺めていた。
 
確実にそれは間違いだろ。と突っ込みどころ満載の討論だが、
時々、ふと素晴らしい一言を発したりすると、うぅむ10代侮れぬ。と思ってしまう。
 
討論の内容が机上の空論のように感じられるのは、10代がその容姿と関係なく無垢なのであって、
それを見ている僕たちは、どこか汚れてしまっているからなんだろう。
 
それにしても僕は昔から討論というものが苦手で、
今でもたまに大学のスクーリングなどに行くとディスカッションの時間があって
決まったテーマの元に討論するのだが、それが苦痛でたまらない。
 
「しゃべり場」然り、なんだか人の揚げ足の取り合いをしてるみたいで気が滅入ってしまう。
昨日の「しゃべり場」のテーマが『トップを目指すことについて』みたいな内容だったが
「ねぇ、そもそもトップって何?」
みたいな野暮な発言をする人が必ず1人はいる。
大学のディスカッションでも例えば『50年後の福祉について考える』だったとすると、
「ねぇ、そもそも福祉って何?」
といかにも得意気に私は物事の核心を突いているのよって顔して野暮な発言をする人がいるっていうこと。
 
『どうしてリンゴは甘いのか』
「ねぇ、そもそもリンゴって何?」
 
って言ってることと同じなんです。
討論の内容が振り出しに戻るというか、振り出し以前の問題になってしまう。
社会って何? 人生って何? 性差って何? そもそも人間って何?
って問題はいちいち考えるまでもないんです。
それはそうなんだと思って全てをそのまま受け入れるべきなんです。
 
トップって何? 福祉って何? リンゴって何?
という野暮で無謀な発言をする人は討論しようとする意味がないのです。
 
『どうして山に登るのか』
「そこに山があるからさ」
 
こういうことなんです。
真実は以外と単純で、討論という回り道をしなくても結構その辺に転がっているものなのです。
 
『ねぇ、どうして赤ちゃんは生まれるの?』
「棒があって穴があるからさ」

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