2002年12月04日(水)  注射とママと子供たち。
僕は看護師だから1日何十回も注射をする。何十人もの血管に、何十本もの針を刺す。
お爺ちゃんにもお婆ちゃんにもお兄ちゃんにもお姉ちゃんにもパパにもママにも注射を打つ。
 
今日注射をしたあるママのお話。
 
医師の指示を受け注射の準備をする。
ママは子供連れ。5才くらいの男の子と3才くらいの女の子。
僕は注射器片手に笑顔を投げ掛ける。
しかし子供たちは笑わない。むしろ怯えた表情をしている。
 
「ママー。頑張ってねー」
子供たちは声を揃えて母親を激励する。
僕と目が合った途端、「頑張っ……て」と語尾を小さく呟く。確実に白衣に怯えている。
 
「大丈夫、ママは注射なんて怖くないもん」
ママは子供みたいな口調で口を尖らす。僕はわからないように少し顔を歪める。
「注射なんて怖くないもん」なんて言葉は子供のヤセ我慢の常套文句じゃないか。
子供たちはその言葉の裏側を知り尽くしている。
悲しいことを悲しくない。不味いものを不味くない。痛いものを痛くない。
言葉で最後の抵抗をする。最後の諦めを示す。
 
これを親が言ってはいけない。親が子供を困らせてはいけない。
この言葉を聞いて子供は縮みあがってしまうし、何よりも僕が困り果ててしまう。
 
参ったな……。
 
僕は子供たちの悲しい視線を浴びながら母親に注射を打つ。
 
「キャー」
子供たちは声にならない声で静かに叫ぶ。
表情は春先の山道で冬眠明けの熊に遭遇してしまったような顔をしている。
僕は白衣の尊厳と童心の共感とで泣き笑いのような表情をしている。
 
「ママー、あともう少しだからねー」
「ママー、痛いときは楽しいことを考えればいいんだよー」
 
子供たちは精一杯の励ましの言葉を母親に送る。
僕は多分、子供たちにとって注射針という武器を持った極悪人に見えているのだろう。
白衣の下には緑色の血が流れていてサディスティックな状況を高笑いして楽しんでいると思っているのだろう。
 
「……そんなことないよ」僕はママにも子供たちにも聞こえないように呟く。
 
「は?」3才児と5才児は同時に頭を傾ける。
 
「なんでもないよ」僕の泣き笑いは一層強くなる。

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