2002年11月17日(日)  泣くということ。今でもそう思っていること。
「……くだらない。そういうときはね、泣けばいいのよ」
 
もう3年も前に付き合っていた彼女が言った言葉。
僕はあの時の状景を今でもはっきりと覚えている。
 
彼女のワンルームマンション。アイボリーのカーペット。火がついたままの煙草。
ガラス製の小さな灰皿。無意味な海外ニュース。気の抜けたビール。安物のワイン。
食べかけのポテトチップ。マンションの窓から見える「ロッテ」の看板。
 
彼女は、当時僕が抱えていた過食症の象のように重い悩みを
「くだらない」の5文字で片付けた。
その言葉は突然 首もとに冷たい缶ジュースを当てられたときのような冷たさがあった。
 
そしてその青天の霹靂のような冷たい言葉のあと「泣けばいいのよ」の7文字で言葉を締めた。
その言葉はベランダの洗濯物を穏やかに乾かす初春の陽光のような温もりがあった。
 
「泣けばいいのよ」
 
彼女はもう一度その温もりと優しさに満ちた言葉を繰り返した。
そして僕は泣いた。自発的な涙ではなく、それは自然に湧き出できたような涙だった。
そのとき初めて自発的ではない涙は自制できないということを知った。
 
僕は彼女の前で、「ロッテ」の看板が見えるワンルームマンションで、
飲みかけのビールの前で、消えてしまったタバコの前で涙を流した。
 
そして自制を失った涙から
涙をこらえる事は「強さ」ではなくて「弱さ」だということを教わった。
泣きたいときに泣ける「強さ」を持とうと思った。
不可抗力に注ぐ悩みから黙々と耐える「弱さ」を克服しようと思った。
 
強いからこそ涙を流せるんだ。
弱いからこそそれを隠そうとするんだ。
 
そう思った。
 
今でもそう思っている。

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