2002年11月03日(日)  48時間の恋人 4(白い衣) 5(48時間)
『白い衣』

残り24時間の朝を迎えた。
空は生憎の曇り空で、道路は昨夜降った雨で濡れていて、その上を救急車が走っていた。
彼女が7時に合わせた目覚まし時計を止める。
 
「おはよー」
「おはよう」
 
彼女は起きて僕は再び眠る。そして再び起こされる。
 
「おはよー」
「おはよう」
 
テーブルの上には朝食が準備してあった。ご飯と味噌汁と、昨夜の残りのおかずと作ったばかりの卵焼き。
「ゴメンね。卵焼き、少し焦がしちゃった」
謝るのは寝坊した僕の方なのに彼女は本当に申し訳なさそうに言う。
 
彼女は長旅で疲れているはずなのに、昨夜は夕食を作ってくれた。
僕がしたことといえば食後に食器を洗ったことと焼酎のお湯割りを作ったことだけ。
あとは風呂に入ってスポーツニュースを見て焼酎を飲んで、尽きる事のない話題に終始した。
もう緊張感の欠片も感じないのは時間の所為。
 
「今日も温泉に行こう」
 
彼女が温泉好きだと知って、僕は火山の街に生まれたことを感謝した。
鹿児島は石を投げれば温泉街に当たる。
『龍神温泉』浴衣を着たまま入る一風変わった温泉。
混浴なのは僕が意図したわけではなく、しかしそれを知らなかったわけでもなく、
まぁ、そういうことで、
 
浴衣を着たまま入らないといけないのは『龍神様』に肌を見せるといけないからという理由らしい。
 
「不思議な感覚だよねー」
薄い生地1枚まとってお湯に浸かった彼女に僕は戸惑う。
戸惑うどころか周囲の人も皆薄い生地1枚。
おじちゃんもおばちゃんも茶髪のお姉ちゃんも若奥様も浴衣1枚。
薄い生地はお尻に張り付いてその形を浮き立たせ、乳房を覆いその形を際立たせる。
 
僕がもし高校生だったら一度湯船に浸かったら二度と上がれないような状況。
真っ裸よりもその白い生地をまとった体の方がエロシズムを喚起させると思う。
僕はそう思う。大人になったからこそそう思う。
 
「うん、僕は少し、恥かしい」
お湯の中で何度もめくれる浴衣を隠しながら懸命に動揺を隠す。
「旅の恥は掻き捨てって言うもんね」
こういう時の女性って強いと思う。
 
竜神様に肌を見せることなく、思春期のような性欲の高揚もなんとか抑えて
湯船にじっくり浸かって、2人で露天風呂に面した海をいつまでも眺めていた。
 
今日の夕方に、彼女は京都に帰る。
 
僕はそのことについてずっと考えていた。


『48時間』

「それじゃあ、また会おう」
 
大阪行きフェリーの発着所。大きな荷物を抱えた人たち。鹿児島弁と関西弁が入り混じる不思議な空間。
僕はジャケットの襟を立てて小刻みに震えて、彼女は48時間の思い出が詰まった荷物を抱えて立っている。
 
午後5時30。突然の大雨で空は厚い雲に覆われ、道路は早くもヘッドライトを反射している。
フェリーは意味もなく大きく、必要以上にその悲しい存在感を誇示していた。
 
チケットを握りしめる彼女の手を取ろうか迷う。
例えここで手を取ったとしても、時間が延長するわけでもないし、フェリーが欠航するわけでもない。
戦艦のように巨大なフェリーはどんな高波にも、いかなる天災にも耐えられるべき構造をしていた。
 
視界に治まりきれないその戦艦は、僕達の想像を超え、
非日常的な空間は、僕達の非日常的な時間に妙に馴染んでいるようだった。
 
「ありがとう。とても楽しかった」
 
別れ際、彼女は小さく頭を下げる。
その余所々々しい仕草に、少し悲しくなる。手を取ろうか迷う。
様々な選択がよぎり、それは様々な角度から考察された消去法で削除されていく。
 
「現実」という重み。「非現実」という意味。
「日常」という現象。「非日常」という悲哀。
 
「……元気で」
 
すごくありきたりな言葉で僕達は別れた。ありきたりな言葉しか思いつかなかった。
フェリーへ昇る階段の途中で彼女は振り向いて小さく手を降った。
 
僕は静かに目を閉じて、静かに手を降った。
 
雨は冷たすぎて、時を刻み続ける時計はいささか早すぎた。
 
―――それはドラマティックでも感動的でもましては悲劇的でもない
1つの電話から始まった恋の物語。
明確な始まりがあって、確実に終焉を遂げる限定された恋物語。

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