2002年09月07日(土)  9月と海と、風のようなキスがもたらす後悔。
「海に行こうよ」
 
9月の海にはある種の哀愁が漂っていた。
そしてある種の哀愁を味わいたいカップルが集まっていた。
若いカップルは肩を寄せ合って、沈む夕陽を眺めていた。
 
昔の彼女と、夕暮れ時の9月の海に行った。
 
僕たちは若くもないし、カップルでもないので肩を寄せ合うこともなく
彼女は、僕たちが付き合っていた頃を
僕は、今夜の夕食と明日の仕事のことを考えていた。
6年も離れてしまってるから、もう目と目で会話なんてできなかった。
 
「海に行こうよ」と言い出したのは彼女の方だった。
仕事帰りに疲れた身体で9月の海を見に行きたいなんてまず僕は言わない。
彼女は里帰りをしている身で、僕はいつまでもこの場に残り、この場で仕事をしている身なのだ。
 
「昔、この海に遊びに来た時に私が空き瓶を踏んで足怪我しちゃったでしょ」
「うん?あ、あぁ……」
それは僕たちがまだ付き合い出して間もない8月のことだった。
僕は当時ミニ・クーパーに乗っていて、よくその小さな赤い車でドライブをした。
この海にも遊びに来た事があった。もう何年前だろう。確かに彼女はこの砂浜で怪我をしたのだ。
 
「あの時あなた血相を変えて、どっか飛んで行ったでしょ」
「……うん」数年前の8月の記憶が鮮明に蘇り、僕の顔は少し紅潮した。
 
「あなた突然消えてしばらくして走って戻って来たでしょ」
「いいよもう」僕はうつむいたまま言った。
「私、血流しながら待ってたのよ。そしたらあなた息を切らしながら『海水浴の責任者探して文句言ってきた』って。それだけ」
「……」
「私の右足から血は流れ続けてるの。もうこんな看護士とは別れてしまおうって思ったわ」
「……」
「……だけど3年も続いたのよね」
 
9月の夕暮れの海はとても涼しくて、散歩をする老人にも、肩を寄せ合うカップルにも、過去を遡る2人にも
その夕陽は平等にそれぞれの心を温かく照らし、その風は優しく包んだ。
 
「この話がしたかったのよ。ずっと」
過去の彼女は、現在の夕陽を眺めたまま呟いた。
 
もう後悔することが許されない場所に立っている2人は、数日の再会を楽しむこともなく
ただ癒えた傷を掘り返すだけで、その行為に何の意味付けもできず
 
6年前から何も変化しない漂う海を、沈み続ける夕陽を黙って眺め続け、
ただその意味のない時間を埋めるためだけの短いキスをした。

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