2002年07月03日(水)  馬鹿か僕は。馬鹿か私は。
何が興奮するってね、ふとした拍子にお尻とお尻が触れ合うことが興奮するんですよ。
綺麗なお姉さんにね、「あら、ごめんなさい」なんて言われちゃうと、もう、たまらんのですよ。
お姉さんのお尻の感触を味わった挙句「あら、ごめんなさい」ですよ。
僕にとってそれは突如として舞い降りた幸福なんですよ。寝耳に水的幸福なんですよ。
謝らなくてもいいですよ。こちらが御礼を言いたいくらいですよ。もう一回お願いしますってね。
馬鹿か僕は。
 
上に書いたように、僕は何事も最後は自己批判で終わってしまうのです。馬鹿か僕はってね。
この自己批判で浮き足立った自分を冷静な位置に戻そうとするのです。
自己批判とは精神の微妙なバランスを保つ一種のツールなんです。
 
例えば今日のキミの落ち込み様。
フードバーのテーブルを挟んで気の効いたことを言っても笑ってもくれないし口さえ開いてくれない。
僕はね、どうしたの?何かあったの?なんて野暮な質問はしたくないのです。
相手の引き出しを無理矢理開けるような真似はしたくないのです。
 
だから灰皿の場所を知ってるくせに「灰皿ってどこにあるんだっけ?」とか
曲の名前知ってるくせに「あぁ!この曲知ってる!ほら、この前一緒に聞いたでしょ。なんていう名前だったかなぁ」
なんて子供騙しみたいな話でどうにかしてキミの口を開かせるように努力しているのです。
この涙ぐましい努力!キミは僕の今日の一連の言動が子供騙しとわかっているのなら
僕の微笑ましい努力を理解してほしいよ。
 
キミが頑固なのは誰よりもってわけじゃないけど、まぁ、知ってる方だから
こんな事で心を開かないのはわかっているよ。
キミの心の引出しはね、鍵が掛かってるんじゃなくて、引出しの中で何かが引っ掛かって引き出せない状態なんだよ。
わかるでしょ。そういう経験あるでしょ。
  
自分の引き出しに自分で何かを入れたのに、引き出しを開かせないでいるその何かがわからない。
キミさえわからないから僕にだって当然わからない。
 
僕が思うに、キミは自己批判が激しすぎる面がある。
自分で自分の中の袋小路の追い詰められて、もがき苦しんでるんだ。
僕が思うに、物事はそこまで深刻に考えるべきじゃないんだ。
適度な自己批判と適度な内省と過剰な自信で物事を考えるべきなんだ。
 
馬鹿か私は。程度で留めとけばいいんだ。

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