2002年05月28日(火)  受容と共感と否定と拒絶。
時々、患者さんから「亡くなった患者さんが歩いていた」というような内容の話を聞く。
 
今日もある患者さんから
「去年亡くなった患者が病院のグランドを1人で歩いていた」という話を聞いた。
僕はそういうとき、即座に否定などはせず、その時の状況の詳細を聞く。
それは何時くらいでしたか?
どんな格好をしてましたか?
どんな表情をしてましたか?
 
まあ、否定しようと思えば、いくらでも否定する要素はあると思うけど、
こういう話は、幻覚や妄想や痴呆を越えて、
超常現象の中の真実というものが少なからず存在すると思う。
 
その患者さんには見えて、患者さん以外の人に見えないのは、
厳密には真実といえないのかもしれないけど、
患者さん自身に関していえば、それは否定し難い真実なのだ。
 
それを医師や看護師が幻視とか妄想知覚とかアルツハイマーだとか
適当な憶測を立てて、決められた検査をして、予想していた結論に持っていって
A4サイズの小さなカルテに
はいキミは精神分裂病です。はいあなたはアルツハイマー型痴呆です。
なんて記入をして、はい治療者の方はこれから上記診断名のフィルターを通しつつ治療を行って下さい。
という指示が出て
 
「ハハ。それはね、幻聴っていうんだよ。そんなこと実際に聴こえてくるはずがないじゃないか」
 
なんて鼻からその患者の症状を否定しようとする。
1度貼られたレッテルは、なかなか外せない。
本人とかけ離れた場所で治療は進められ、副作用の出現で本人は治療されているという現実に気付く。
 
僕は患者さんに対して、そういうレッテルは貼らないようにしている。
そういうフィルター自体を無視することにしている。
患者さんが見えると言ったら見えるし、聞こえると言ったら聞こえると思う。
 
医療に従事する者が、医療を否定するようなことを言ったらいけないと思うけど、
患者さんの訴えを目線を合わせて聞くということが受容するということだと思うし、
見えないものを見ようと努力することが共感だと思う。
 
「で、亡くなった患者さんは何か言ってました?」
 
「はい。『寂しいよ』って」

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