2002年04月18日(木)  記憶、追憶、木箱に仕舞う。
僕が危惧していることは、
思い出が美化されるんじゃないかということです。
 
あの頃は、辛いことが多かったけど、今思い返してみると楽しかったなぁ。
なんて考えることがあるけど、それは嘘。誤り。誤謬。
それは思い出でも記憶でもない。合理化なんです。防衛機制なんです。
正当化して合理的に処理してるんです。
 
今でも時々キミの事を思い出します。
ドアをノックしたことを思い出します。
夕暮れ時でもとても暑かったけど、あの鉄のドアだけは冷たかったことを。
 
何時の時代も、何処の誰もが、時は無常にも過ぎていくと言っています。
僕の周りも例外ではなく、無常に時計の針は、刻み続けています。
 
元気ですか?
 
僕は相変わらず、笑ったり、笑ったり、笑ったり、結局笑ってばかりいながら毎日を過ごしています。
あの日以来、泣いていません。
 
なぜ今頃になってこんなことを書き綴るのでしょう。
それは、思い出として、小さな木箱に仕舞う為です。
記憶が美化されないうちに、自分自身を合理化しないうちに。
傷が完全に塞がってしまった今だからこそ、
この記憶を、小さな小さな木箱に仕舞います。
 
夜はぐっすり眠れてますか?
この文章は、あの鉄のドアに向かって書いてるようなもので
反応が返ってくることは、これから先、ずっとないけど
 
僕は僕のまま
思うままに過ごしていきます。
僕は僕自身をすぐコトバで誤魔化すから。
表情で隠すから。

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