2002年03月09日(土)  広さと深さ。許容範囲と許容量。
人の心を看るという仕事柄、
毎日、実に様々な感情に触れ合うことになる。
 
普段の日常生活では決して遭遇することのないような怒りや、
決して対峙することのない悲しみ、
決して感じることのない不安や、認知することのない恐怖。
 
その人の病の程度に応じて、表出される感情の種類も度合いも様々で、
僕達は、いかに柔軟にその感情に接していくことができるかが重要になってくる。
時に受容し、時に支持し、時に指導し、時に共感する。
 
しかし、臨床に出て、もう何年も経つけれど、
いつまで経ってもよくわからない感情が1つだけある。
 
イライラする。
 
このイライラするという感情がよくわからない。いや、わからないでもないのだけど。
イライラとは即ち、自分の欲求や要求が満たされないとき、
そのエネルギーを外に向けて発散する感情だと思う。
なぜ、そういうマイナスの感情を外に向けるのか。内へ閉じ込めないのか。 
理由は人それぞれだと思う。
ある人は自分を守るためだったり、ある人は自分を理解してほしかったり。
 
そういうイライラする人たちを、僕は寛容な心の持ち主だと捉えている。
その人は、あらゆる事象を捕える心の許容範囲が広いのだ。
広いと、深いとは意味が違う。しかし、確実に許容範囲は広いのだ。
 
あらゆる事象の波長を、いちいち拾ってしまうのだ。
そしてそれに好き嫌い問わず反応してしまって、イライラとして表出する。
 
その分、僕はイライラすることが全くない。
人は心が広いと言ってくれるけど、実はそれは正反対。
僕は心が狭いのだ。
心の許容範囲が狭いから、あらゆる事象の波長を、いちいち拾わない。
往々にして無関心なのだ。
 
燃えるゴミと不燃物と危険物はしっかり分別する。
この話は簡単に燃えてなくなる。
この話はいつまでたっても燃えなくてイヤな臭いがする。
この話は取り扱いに注意しなければ危険。
 
僕の狭い心の中では、せっせとこのような分別作業が行われている。
それを人間的というかどうかは別として。

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