2002年02月19日(火)  心奪われるもの。
これは医療従事者の宿命と呼んでも過言ではないかもしれない。

1人の女性とテーブルを挟んで、または、カウンターで肩を並べて食事をする場合、
僕は、その女性の腕に、心を奪われる。
 
その白い肌に微かに浮かび上がる、遠慮深く隆起している、その血管。血管!
その白の生地に青白く漂う一筋の血管。
 
「・・・ぇ、ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「ん?あ、あぁ、うん、聞いてるよ」
 
こういうときはたいてい僕は血管に心を奪われている。
 
仕事柄、1日に何十人もの何十本もの血管に注射をうつ。
採血、点滴、抵生物質、栄養剤、鎮痛剤。
ありとあらゆるものを1本の注射器に神経を集中し、注ぎ込む。
 
テーブルをはさみ、フォークを持つその腕に心を奪われる。
「あぁ、注射しやすそうな血管だなぁ」
その浮き出た血管に鋭利な注射針を刺したい衝動に駆られる。
 
このまま、そう、この調子でおどけた会話を続けて、
突然神妙な顔付きになって、相手に聞こえるように深く息を吸いこんで、
溜息混じりに、しかし意を決したように言うんだ。
 
「ねぇ、うちに来ない?」
 
2人で、アパートの階段を昇るときに、僕は胸を躍らせる。
彼女の腕は、もう僕の物。
駆血帯(注射するときに血管が出やすいように縛るゴム制の帯)で彼女の腕を優しく縛り、
部屋の灯りを消して、月明かりに照らされた白く怪しく光るその腕に、
そっと、しかし確実に、注射針を刺す。
 
顔を背ける彼女。その顔も月明かりに照らされて、神秘的な悲しみを称えている。
注射針が表皮に触れた瞬間、彼女は拳を握り締める。
そう、腕に力を込めたほうが、血管が出やすくなるんだよ。
 
注射器に血液が逆流する。「あ・・・」彼女が艶やかな声を出す。
 
・・・ぇ。・・・ぇ。・・・・って。・・・ねぇって。
 
「・・・ぇ、ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「ん?あ、あぁ、うん、聞いてるよ」
 
こういうときはたいてい僕は血管とそれに基づく妄想に心を奪われている。

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