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| 2001年11月30日(金) 時にはあの頃の目線を持って。 |
| 九州精神保健学会に出席した。 午後からはシンポジウム。 「児童・思春期の子供の心を理解するために」 引きこもりや虐待やトラウマやPTSDや不適応についての様々な立場の人達の公演。 そこで公演したスクールカウンセラーの人が 「現代の中高生などの若者は無気力、無感動、無目的、(どうせオレなんか)などの自己否定感、 (今がよければそれでいい)などの投げやり的な表現をすることが特徴です」 と言っていた。 いわば現代の若者は自分を微小化しているのだ、と。 その言葉を聞いて帰りの車の中で少し考えてみた。 若者を無気力へと追いやる社会の病巣はどこに隠れているのだろう。 挑戦する前になぜ挫折するのだろう。 学業による価値付けが悪いのだろうか。欠点指摘型の教育が悪いのだろうか。 過干渉的養育態度が悪いのだろうか。親の要求水準の高さが悪いのだろうか。 なぜ、君たちの世界はそんなに狭く見えるのだろう。 きっと現代の若者たちは人生を微小表現しているのではなく、 逆に過大表現しているのではないだろうか。 現代社会を生きるための選択肢は昔と違い、いくらでも存在する。 いくらでも存在するのだ。その気になれば何でもできる。 しかし、選択肢が多すぎるのだ。 あいつは生真面目な性格だから公務員が向いてるかもね。そんな時代は20世紀で終わっているのだ。 その生真面目さを生かして作家にも画家にもデザイナーにもカメラマンにもなれる時代になったのだ。 自分の秘めたる可能性を充分に発揮するお膳は整っているのだ。 しかし、いかんせん選択肢が多すぎる。 歳の頃18・19の若者に自分の秘めたる可能性なんて見分けられるわけがない。 だからスチューデント・アパシーやモラトリアム症候群やピーターパン症候群が出現するのだ。 飽食社会が生んだ利点であり欠点でもある未知の可能性。 僕たちは目の前に広がる無数の選択肢の前に立ち尽くす。どこを進めばいいの? この道も通ってみたいけど、あの道も行ってみたい。 後ろを振り返ると親や教師が追ってくる。僕たちは彼らが追いつく前にどれかの道に飛び込まなければならない。 この道も通ってみたいけど、あの道も行ってみたい。 そう迷っているうちに目の前には親や教師が立っていた。 目の前に立ちはだかる大人を前に、僕たちは抵抗する術(すべ)なんて持っていなかった。 |
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