2001年11月14日(水)  厭世感、尿意、死生感。
朝は、嫌いだ。
 
不精髭が生え、髪の毛は東奔西走し、まぶたは妊婦の様に腫れている。
毛布はいつの間にか足元でくしゃくしゃになっているし、
電池の切れかかった目覚まし時計からは、僕を目覚めさせようとする気力は感じられず、
閉め忘れたカーテンからは憎たらしい朝の光が測ったかのように僕の顔の部分にだけ差し込み、
インスタントコーヒーは相変わらず不味く、歯磨き粉は相変わらず咽頭を刺激して嘔気を誘い、
トイレの水は僕の小便より勢いが弱く、時計は30秒で1分進んでいると疑うほど早く針を刻み、
天気が良いので、空気を入れ替えようと思い、窓を思いきり開けると、思いのほか寒くて、
下着姿の僕は空気を入れ替える間もないまま急いで窓を閉める。
 
そんなことを毎日毎日繰り返していると、なんだか生きていくことが嫌になってしまう。
 
例え嫌になっても、出勤時間は待ってはくれない。
いつものように8時半には仕事を始めなければならない。
しかし、仕事が始まって30分もすると、あまりの慌ただしさに目覚めの時の厭世感など
どこかに飛んでしまっていて、目の前の仕事を片付けることで精一杯になってしまう。
 
たぶん、なんだか、そんなもんだな。と思ってしまう。
 
僕達は生きたいから生きているのでもないし、死にたいから死のうとしているのでもない。
朝起きることが辛いから死にたいのであって、仕事中は忙しいから死のうと考えないのだ。
みんな死生感について難しく考えすぎだけど
――死生感を説いている辞書のような厚さの本も世の中には存在するけれど
それは意外と、極めて単純な次元の話なのかもしれない。
 
(嗚呼、私もう死んでしまおうかしら)と思っている人も、尿意を催したら、
(あ、トイレに行かなくちゃだわ)と思うのであって、
ということは、(あ、トイレに行かなくちゃだわ)と思っている間は、例えそれが一瞬だとしても、
(嗚呼、私もう死んでしまおうかしら)という思いは消えてしまうのである。
 
死<尿意
 
尿意は死に勝る。死は尿意に劣る。
尿意でさえ死に勝るのだから、この世の中は死に勝るものだらけである。
尿意に劣る生命の尊さとは何ぞや!
  
今テレビで国会中継をやっているけれども!
いくら補正予算案について論議したところで!
世論は愚か、尿意にも勝てないのだ!
 
嗚呼!この世に生を授かった素晴らしさ!

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