2001年11月03日(土)  尖端恐怖という個性。
非常に主観的な感情を第三者に有効的に伝える方法はあるのだろうか。

「僕は尖端恐怖症です」と私が壇上に立ち叫んだ場合、
然り!と感極まって拍手をする人はどのくらい存在するのだろうか。
おそらく大多数の人々は、あぁ、尖端恐怖症ね。と適当に相槌を打つか、
尖端恐怖症とは何ぞや。と首を傾げるだけであろう。

「近所の『味の1丁目』の味噌ラーメンは世界一美味しいです」と私が壇上に立ち叫んだ場合、
然り!と感極まって拍手をする人はどのくらい存在するのだろうか。
おそらく大多数の人々は、あぁ、『味の1丁目』の味噌ラーメンね。と適当に相槌を打つか、
『味の1丁目』の味噌ラーメンとは何ぞや。と首を傾げるだけであろう。

以上のことから、主観的な感情は、
第三者がそれと全く同じか、それと似た感情を味わった場合に初めて有効的に伝えられる。

僕が彼女に「尖端恐怖症だからこっちに箸を向けるな!」と叫んだところで
僕はせいぜい神経質だと思われるか、やもすれば既知外と思われるに違いない。

それはほんの些細な事なのだが、僕の目の前にあらゆる物の先端が向けられると、
僕の心は嵐の前の海面のように徐々に波が荒れてくる。
 
例えばテーブルの角。
何かの拍子でテーブルの近くで躓いてテーブルの角が目に刺さった場合。
僕はこの事を想像しただけで、ノックアウトされてしまう。
例えばビリヤードのキュー。
誰かが僕の背後でキューを手持ち無沙汰にしていて、僕が振り向いたときに、そのキューが僕の目に突き刺さる。
これで、またノックアウト。
例えば、テーブルに上に乗せられた逆さまの椅子。
食堂の清掃の時によく見られる光景。
大空を見上げる雛鳥のくちばしのように、椅子の4本の足が天井を見上げている。
10個の椅子があれば、40本の足が天井を見上げている。これでノックアウト。
 
ここで尖端恐怖症に関する精神医学的分析をしたところで何の解決にもならない。
世に数えきれぬほど存在する不安神経症の殆どがそうであるように、
症状を受け入れ、共存してこそ、初めて解決の糸口が見えてくる。

「あらゆる症状もあらゆる人の個性」

これが、僕を数十年悩ます尖端への恐怖と、数年間の臨床心理の現場で学んだ1つの答え。
尖端を恐れる自分を受け入れ、『味の1丁目』の味噌ラーメンを食べると
きっと僕はこれからも幸せに暮らすことができる。

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