2001年10月20日(土)  見えない努力が美女になる日。
見えない努力について。それは報われるものなのか。
最近は、たいした見えない努力をしているわけではないけれど、
見えない努力についてよく考えるようになった。
 
そして、気付いた。
あらゆる事は考察さえすれば、例え不完全であっても何かしらの結論は得られるものなのだ。
 
見えない努力なんて、そもそも報われるものではないのだ。
「努力」と「報い」を連結して考えるから迷うのだ。
「リンゴ」と「サラダ」は必ず連結しているとは限らない。
「リンゴ」という記号から様々な道が出て、その道は枝分かれして、その道の一本が「サラダ」に辿り着く。
ある1つの道は「アップルパイ」に辿り着くし、ある1つの道は「バーモンドカレー」に辿り着く。
 
「努力」に関しても然り。
運が良ければ「報い」に辿り着くけど、悪ければ「誤解」や「偽善」に辿り着く。
そして「見えない努力」となると、その枝分かれした道は更に複雑になる。
そしてその「努力」自体は、行き先の決定権を持っていない。
ある「リンゴ」は「アップルパイ」になりたくても、ハウスの工場に運ばれて「バーモンドカレー」になるのだ。
その過程は有無を言わさぬものがあるし、それ以前に「リンゴ」は有無なんて言えない。
 
というわけで、今回の僕の「見えない努力」は、どうやら「バーモンドカレー」になったようだ。
誰も気付いてくれないし、例え気付いたとしても、
「おっ。アップルパイだ」
その程度だろう。
 
道が複雑だから、なかなか「報い」に辿り着かないのだ。
だけど、その「見えない努力」から出たものは、今も見えない道を歩いていて、
3年後の朝食後、煙草を一服してるときに、
「こんにちは。3年前の『見えない努力』です。形を変え時を超え、やって参りました」
と、突然絶世の美女が下着姿で僕の前に現れるかもしれない。
 
というか現れて欲しい。
 
僕に報いを!

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