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| 2001年09月12日(水) 仮面の裏。 |
| 2人きりになると、同性・異性に関わらず、なかなか円滑に話が進まなくなる人がいる。 大勢の中で明るく振舞う人は往々にして、1人または2人きりになると、 人格が変わってしまったかのように、口数が少なくなる。 おそらく、それは本当に人格が変化しているのかもしれない。 性格が明るい人、もしくは外交的な人は、正確には2分されていると思う。 先天的に明るい人か、内向的な面を隠すために明るく振舞う人だ。 内向的な面を隠そうとする力が強くなるほど、その人は過剰に環境に適応しようとし、 過剰に周囲に冗談を言い、和ませる役に徹する。 そういう理由で、僕は後者のタイプの人と2人きりになると、食事が進まなくなる。 しかし、僕が2人で食事に行く事を好むのは、 その食事の場は、その人の、本当の姿、本質を見極めるのに絶好な機会であるからだ。 この際、食事はそれほど重要な意味を持たない。 食事は、その場を保つ、象徴の1つなのだ。 目の前のテーブルに松坂牛のステーキが出ようが、ヘビの丸焼きが出ようが、 そんなものはどうだっていい。 テーブルをはさんで、料理の味を吟味したかったら、そう仲が良くない人といけばいい。 仲が良くない人と食事に行くと、食事の評価くらいしか話題がないからだ。 食事を共にする相手に彼氏がいようと、旦那がいようと、それもあまり重要な要素ではない。 そもそも恋愛感情など、食事の時に抱くものではない。 僕はただ、純粋に、その人と、食事をするという場を、楽しみたいのだ。 しかし、内向的な面を隠す人と食事をすると、時々、奇妙な感覚に襲われる。 相手の仮面の中身をのぞこうとする度に、本当の自分を見失いそうになるのだ。 相手の仮面と僕の仮面(のようなもの)が、衝突し合い、青い火花を発する。 それは共鳴しているのか、反発しているのかわからないけれども、 その青い火花の正体を見極めるために、 「食事」という象徴は、そこに存在していると思うのです。 |
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