2001年05月21日(月)  蜘蛛の意図。
雨。こんな日は部屋で大人しく小説を読みながら過ごすのがよい。
時々、小説から顔をあげ、窓を見て、ああ、雨だ。と思い、また小説を読む。
これが雨の日の理想的な過ごし方である。

ああ、だがしかし、悲しいかな社会の歯車。
私は今日も仕事であります。看護婦詰所の窓から、ああ、雨だ。と思っている有様です。
こう、湿気が多いと、なんだか気分も陰湿になってしまいそうな気がして、厭になってしまいます。

私は蜘蛛が大の苦手で、看護婦さん達も私の蜘蛛嫌いは承知していて、
蜘蛛を捕まえると、すかさず、目が光り、口元が歪み、私の姿を探します。
私もそのような奇怪な行動をする看護婦さんを目で追いつつ、
来るぞ、来るぞと思いながら、机上のカルテに向かい薬の処方など書いていると、
案の定、形容不可能な笑い声をあげながら、私の方へ走ってくるのであります。

私も馬鹿ではないので、
毎回毎回、やめなさい、よしなさい、と泣きべそをかきながら逃げるわけではないのです。
今年の文月で齢二十五になるのです。同じ齢の友人には二人の子供だって入ます。立派な大人です。
逃げる事には変わりないのだけど、しっかり逃げ道を確保するのです。
こちらから追いかけてきたら、こちらに走ってあちらの階段を駆け上がればよい。という具合に。

私は看護婦さんがこちらへ走ってくると同時に、勢いよく立ちあがります。
その時に毎回、膝を机で打ってしまうのだが、こいつは、痛いや。などと言っている暇などありません。
想定された逃げ道をただ一目散に逃げるだけです。

しかし、人生とは思い通りにいかないというのが世の常というものです。

廊下で、思いきり、滑りました。
今日の、あの、憎むべき雨のお陰です。雨のお陰というか看護婦さんのお陰です。
看護婦さんのお陰というか蜘蛛のお陰です。蜘蛛のお陰というか私の小心のお陰です。

結局、因果応報ということです。

今日は、雨の日に、因果応報を学びました。人生、どこで何を学ぶかわかったものじゃありません。

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