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2005年01月13日(木)
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「会わない」 と 「会えない」 っていうのは、物凄く違うな。と。 まぁ、そんな事をここ数年つらつら考える訳で。
13日は1号の義母のお通夜だった。 父上が亡くなり、翌年に義兄が亡くなり。その間に30年近く会って無い祖母も亡くなったと聞いた。 あれから3年。3年であってるのか? あまり数えるのが得意じゃないらしい。
12日から仕事が突如忙しくなり、出かける40分前に用意を始めた。 二種類の喪服用スーツ(ちゃんとした喪服は持って無い)を試着してみたところ、どっちもパンパン。 おかしい。いや、閉まらないって事はないんだけどキツい。 2年前に着た時には手が入る余裕があったハズ。 スカートなんぞ、折り返して履いてたハズ。 今まで半信半疑だったものの、本当に太ったのだということを思い知る。
母上と電車で出かけるのは、二回目だと思う。 高校の入学式以来だ。 母上は、どんなとこでも車な人なので切符の買い方すら怪しい人間だ。 3月の母上の誕生日前日に観劇に連れて行く約束をしたばかりだったのだが、母上が電車に大人しく乗れるのか?混んでても平気なのか?っていうのが不安で仕方がなかった。 そんな母上と思いのほか早く電車に乗ることに。
路線図を見て計画を立てた私に、「何があるか分からないから早めに行った方が良い」と珍しく母親らしい発言をした母上と共に、17時頃のモノレールに乗った。 たった一駅だっつーのに、人をすり抜けて案の定座る母上。 駅に着く手前で急に「見て、あの雲」と。 夕焼けの空に斜めに走る竜巻みたいな雲。飛行機雲のぶっといバージョンみたいな雲を見て、「きっと地震雲だ」と言いつづける母上。
横浜で東横線に乗り換えるのに地下に入ると「こんな所で地震が来たらどうしよう」と、既に地震がくるのだと母上の中では決まっている模様。 東横線は、そこそこ人がいて。 それでもやっぱり母上は席を確保。 決してつり革に掴まらぬ私に「本当に掴まらないのね」と指摘する母上。
駅に着き、少し早いので駅前でお茶しようという事に。 ケンタに入ろうとするも、一階にいる外国人数名を見て「怖いからヤダ」と言う母上。 それ、差別じゃね?いつの時代の人だよ?と内心思いつつ斜め前の喫茶店に入った。 ココアとカフェオレを注文するも、10分近く待たされ。 大急ぎで飲む二人。 伝票がくると、無言で自分の方に引っ張る母上。 相当、奢り慣れている人間の仕草だなと改めて観察。
5分前に喫茶店を出て駅目の前のお寺へ。 前方50mは離れてそうな場所の案内板の文字が読める母上。 その母上の目の良さのおかげで迷う事無く斎場へ。 人がいなくて二人並んで記帳しようとすると、「一緒に記帳した方が分かりやすくない?」と、後で纏める人への余計な心配をする母上。 整理券なるものを渡されて、「これは・・?」と思わず尋ねてしまう私。 いや、コートとか預ける場所が無かったからね。そっちかと思ったのさ。
斎場に入ろうとすると、向こうの入り口へとドアの内側ガラス越しに言われる。 言われた入り口へ行き、そのまま入ろうとする母上に「上着脱いだ方が良くない?」などと言っていたら、係りの人が出てきて「もうしばらく外でお待ちください」と。 私が上着云々言わなかったら、お経を上げてる最中に入って行って、注目されるとこだったわさ。
焚き火に当たっていると、どうやら親族の御焼香が始まった。 焚き火の側を離れ、遠くから「あれは○○さんだ」と推理する母上。 待っている間に、物凄い消防車のサイレンが鳴り響き。 とにかく、何台も何台も近い距離から聞こえるもんで母上が「地震かしら」って。 あーた。地震ならこっちも揺れますから。火事でしょう。 とにかく、行きに見た雲が頭から離れないらしく。消防車と雲を結びつける推理を展開。
そんな感じで20分ぐらい。 係りの人に3列に並んで下さいと言われ並び、「真ん中だ。目立たなくて良かった。」と呟いた私に、「私はどうなるのよ」とモロ親族側に並んだ母上が愚痴る。 既に父上、義兄と法事もあったりで御焼香経験は豊富なはずなのに、なぜか毎回手足がもつれる気がする。 今回も案の定よれよれっとなりつつも、1号の姿を探そうとしたが目の悪い私には見つけられず。
案内されるがままに二階に上がる。 お通夜振る舞い(であってる?)で、お寿司を頂いている時に写真を撮られた。 後で1号から電話があった時に、義兄の弟さんが私と母上が二階に上がったかを気にされてたということだけど、大丈夫。 証拠写真にバッチリ収められてますから。
帰りの電車は混んでいる東海道を避けて横須賀線で。 それでも、母上は驚いてたけど。 「こんな電車に乗ってたら病気になりそう」って。 ええ。なりますよ。なんせ私。満員電車に乗りたての頃に円形脱毛症になりましたもの。
最寄駅の駅ビルにてお弁当を母上に買ってもらい帰宅。 帰宅後は仕事。 どうやら、不幸のある時に私は必ず忙しい。 父上の時は危篤と言われた日から亡くなる当日までの1週間。 どうにもならぬ状況で夜中に病室で仮眠を取るという毎日だった。 義兄の時もお通夜の後に夜中まで仕事だった。 おかげで葬儀に寝坊して遅刻した。一生の不覚だ。 お通夜の後に夜中まで仕事というのが恒例になりつつある気がする。
思えば。 私の家族の中では1号を除けば、私が一番1号義母に会っていた事になるんだろう。 1号の子供が小さい時に家に遊びに行くと、1号義母さんもいらした事がよくあった。 1号の娘が久しぶりに見た母上を「おばあちゃん、全然変わらない」と言ってたらしいが。 私が会ってた1号義母も、10年経っても全然変わってなかったし。 小さい頃に見たお婆ちゃんは大きくなってもお婆ちゃんだと、大人になると実感するものさ。
でもね・・・・・叔母ちゃんはどうなの? 1号娘曰く「あるひ姉ちゃん、分からなかった」って。 おばあちゃんの隣にいましたがな。母上見てたのに何故に私が分からない? 服装も父上の葬儀の時と、義兄の三回忌の時と同じだったハズよ? ってか、たった2ヶ月前に義兄の墓参り一緒に行ったでしょう? 髪の毛切っただけで、そんなに分からんくなるもんかしらねぇ。
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