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2004年01月25日(日)
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| 地に足が付いて無い |
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「地に足が付いて無い」という表現がありますが。 今の私は
「地に足を付けられない」
という雰囲気なのであります。 昨日の日記に書いた「足の裏のほくろ」が気になり。 何故に足の裏がいけないかと言えば、絶えず地面を踏んであるいて刺激がある場所であるからなのだそうな。 験しに、「足の裏 ほくろ」で検索すれば怖い話がいっぱい出てきます。 (怖いという表現が合ってるかどうかは別として) それを読めば、きっと。私が地に足を付けられない今の気持ちが分かるかと。
ここ3年ちょいの自分を振り返ったり、今の自分の生活を考えてみると。 無駄に一年を過ごして居る事は明白で。(無駄に歳を取ってるとも言う) いつまで続けられるか分からない仕事を、先も考えずに毎日続け。 将来の計画を立てていた3年前の希望なんぞは、どこかに吹っ飛び。 自分を見つめる事も無く。何かを賢明に考える事も無く。人との交流に精を出す事もなく。 ほんとうに、「何にも無い毎日をただ過ごしている」という言葉が最適。
ただ、この時間が私には多分必要不可欠なのだと勝手に解釈しているのも事実で。 とある掲示板で医療従事者なる方の書き込みを見て、もろストライク。 これは、独断と偏見の塊の意見なのですが。 私は自分が医療関係に携わる事が出来ないと思っています。 それは、頭の悪さは当然なので置いといて。 自分の中で人の生命の動きを仕事として捉える自信がゼロだからなのです。 多分、いつまで経っても平気にはならないだろうし。その動揺を仕事と割り切る事も、それを受け入れてまで人に尽くす事も出来ないでしょう。
その書き込みはリアルすぎました。 医療従事者と名乗るだけあって、亡くなった方のその後を書かれていました。 きっと、身内を看取った方であれば私と同じ事を感じたかと思います。 その掲示板を見ながら同時にチャットをしていたのですが。 チャットに居た、ご両親を亡くされている方も「ストライクだ」と申しており。 でも、それは人それぞれの表現の自由だからスルーするだけだと言っていました。 当然、私もスルーの方向で。 人の表現に文句は言いません。わざと誰かのストライクを狙った訳でもないし。 逆に、人の生命の重さを語ろうとしての意見だったので文句の言いようがありません。
そう言った関係の言葉を見る度に、ストライクに入る自分を私は 「正面から受け止めていない自分が悪いのだ」と思っていました。 でも、そのチャットの方に言われました。 「人が亡くなった事を正面から受け止められる人間なんて居ない」と。 「弱いとか強いとかじゃなくて、人それぞれで費やす時間は違うものだから、自分のペースでいいんだ」と。 御両親を亡くされていて、ご自分も心の病気と闘っているその人の言う事は、殊更説得力があるなと、素直に関心しました。
私が人との交流を、父が亡くなって数カ月後に断った理由の一つは。 人に「もう元気になった?立ち直った?大丈夫だよね」と言われるのが苦痛だったり。 何で自分が傷つくか分からない事が、すごく嫌だったからで。 相手は親切であり、いたわりかもしれないその言葉でさえも、イライラしたり無神経だと思ってしまう尖った自分の神経質さを持て余したからで。
どこかの日記で、離婚した当初は開放感で一杯でも、一年後にどっとくるという表現を読んだことがあるんだけど。 私にとっては、父上が亡くなった直後は現実を認識するまでにはなっておらず。 ただ、ただ。怖い怖いと思いつづけていただけで。 月日が経つに連れて徐々に何かを認識し始め。 そして、やっと三年経って。 もう二度と。これから先もずーっと会えないんだと。 そういう現実を、三年もかかってやっと。一昨日、唐突に認める事が出来た訳で。
私と同じように多分3年前ぐらいに御父様を亡くされた、1号の娘より年下の子とメールのやり取りをしているのですが。 彼女は、御父様が亡くなっていなければ今の自分はいなかったかもしれないと。 強い自分になれなかったかもしれないと。 後悔したり、過去の事を哀しんでばかりいても前には進めない。 「それがあったから今の自分が出来ること」ってたくさんあると思う。 成長するかしないかは、自分次第で。 哀しんだり苦しんでいるだけか、それを克服しようとするか… と言っていました。
その少女は克服し続けて、周りに助けられて前向きになる事ができた。 それが自分の得たものの中で一番誇れるものだとも言っていました。
彼女が地に足を付けて歩いているのだとしたら、私は足が付いて無い状態なんでしょうかね。 私は、日々、哀しんでも苦しんでも居ません。過去を振り返っても居ません。 かと言って、前も見ていません。 ただ、ひたすら時間が何かを解決するのを待つという状態です。 これは、ある意味私にとっては珍しい事で。 何事も、待つ事が大嫌いで。時が解決するはずの事を自分で動いて無理矢理収め、失敗した数々の経歴を考えてみたら、成長かもしれず。
そうだな。考えてみたら、今の私が一番自然に近い状態なのかもしれない。 地に足が付いてなかった子供の頃を思い出して、いつから自分は躍起になって、どうにもならない事をどうにかしようとするようになったんだろう?と。
そう考えると、私の性格の場合。 多少、無気力な方が楽に生きられるのかもしれないなぁとか思ったりするのです。 妙なプラス思考だけどね。
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