2004年10月12日(火) [ 海女で臼 ]
7月頭くらいにやっていたモーツァルトの特番(たけしが司会の)を 録画しておいたのをやっと見ました。(遅!)
私がモーツァルトのことを考える時、 「好き」とか「嫌い」という言葉がとっさには浮かんでこないのです。 何と言ったらいいか、世の中がここにある、自分がここにいる、のと 同等に、もうすでにそこにある音楽、というか。 好き嫌いの次元ではない、というのか。
そんな語彙の少ない私の気持ちを代弁するかのような、先人たちの言葉の引用。 何でこんなにピッタリーな表現ができるんでしょうか。 偉人の偉人たる所以でしょうか。
その音楽は 宇宙にかつてから存在していて 彼の手で発見されるのを 待っていたかのように純粋だ
−アインシュタイン
あたかも 天国の記憶のようだ
−小林秀雄
オペラをやっている周りの人たちはモーツァルト嫌いが多いです。 それはきっと演奏者にしか分からないモーツァルト演奏の難しさ、とか いやらしさ、というのが大いに関係している、と私は勝手に想像しておりまして この日の日記にも長々と書いたんですが、 演奏者にとって時にもう無茶苦茶サドに思えるわけですよ、 モーツァルトという人は。 メロディーが耳になじみやすいことや、楽譜ヅラが簡単そうなのもあって とてもとっつきやすい割に、演奏すればするほど壁にぶつかる。 さらっと演奏できるようなものではないのに、さらっと聞こえなければいけない。 そんなこんなで、オペラの人で言えば例えばヴェルディやなんかを やった方がずっと簡単に気持ちよくなれるわけです。 派手ですし。
なので大抵モーツァルトのアンサンブルを持ちかけると、ひかれます。 課題曲でもないのになんでわざわざモーツァルトなわけ?ということで。 私は重ね重ね言いますがMではないのですが モーツァルトを演奏するのはものすごく好きです。 ↑の日記にも書きましたが他の作曲家の曲では得られない 快感というか、爽快感・達成感を得られるからです。 「嫌い」と言っている方に対しては特に哀れみも嫌悪感も何も感じませんが モーツァルトを喜んで聞けるだけの耳を持って生まれた自分と 祖先に感謝する気持ちになります。 自分がオタクであったことに感謝する気持ちにも似ている…とか言うと 語弊があるのかも知れませんしモーツァルトに失礼だ!と 怒られるかも知れませんが、まさしくそんな感じです。
…すっかり話が番組から離れてしまいましたが、戻ります。 色々と興味深い番組でした。 全体的に、医学や科学の観点からモーツァルトを解明する、という内容でした。 1/f ゆらぎ、α波、高周波…なんて言葉が出てきました。 なるほろね!と思うのと同時に、 そんな波やら揺れやらだけで解明なんてされてやらないぜ!という あたかも大槻教授に対し感じるのと似たような思いもわき上がってくる 文系ヤマンなのでした。 トマトや牛の話は知っていましたが、 モーツァルト療法というのは知りませんでした。 これがやっぱりベートーヴェンじゃダメなんだろうな、 というのは私にもうっすら分かります。
「モーツァルトは天上の音楽だ」というのを私たちに伝えたいがために オペラ研究所教授が持ち出してきたのは、映画「ショーシャンクの空に」。 私も5本の指に入る位好きな映画です。 (S・キングの原作も素晴らしい。) 囚人たちに、フィガロの結婚「手紙の二重唱」を聞かせるシーン。
…ちなみにこの二重唱も む ち ゃ く ち ゃ 難しいです。 試験でこれ歌え、と言われるのは死刑宣告にも等しいです。 モーツァルトはやっぱりサドだと思います。
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