2004年10月13日(水) [ 海女で臼・2 ]
すいません、昨日の日記が「モーツァルトはサドだ」で終わっていて、 それが結論みたいになっているので(まぁ結論なんですが) も少し補足します。
サドとは言っても自覚のあるサドではなく、 無自覚なサドだと思います。天才故の。 モーツァルトの楽譜の場合、歌っていても、ほんとーうに、 イヤなところついてくるなぁ…と言いたくなる音程と強弱指定とリズムと… という感じなんですが、 これは、モーツァルトが
「ウェーッヘッヘッヘ…しめしめ…演奏者よ、苦しめ!苦しめ!」
と思って書いているわけではなくて その音こそが無類の旋律を産む、というのを知っているからだと思うのです。
だってここは別に半音低くたっていいじゃない、 強く音を出したっていいじゃない、多少テンポがずれたって…と ヘッポコ演奏者はことあるごとに思うわけですが、 彼にとってはその音以外はありえないものなわけです。 そう、知っている、というより、それ以外ありえない、と。 そしてきっとそれが正解なんですよねー。
演奏者からしてみれば、苦労して苦労して紡ぎ出された音だから美しいんだ! と言いたいところです。実際そうだとも思います。 でもモーツァルトに言わせれば
「へ?何言ってんの?この旋律にはこの音って決まってんじゃん。」
みたいな感じで、
「演奏者の苦労?知らないね。ボクは別にこれ演奏すんの苦労しないし。」
っていう感じなんだろうなぁ。
うわぁぁ…、無自覚なサドって手に負えないです。
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