michiyonのしあわせ探し
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2003年09月13日(土) 事実はひとつでも…

事実はひとつでも

事情はいろいろだったりします。


物事には何にでも背景があるもの

その背景を知らずに 誰かが言った言葉や 目の前で起こっている事だけを見て 

判断することはできないですよね。


それは よく考えてみれば あたりまえのことなのですが

このあたりまえのことが 意外と気づきにくいことだったりもします。


例えば 誰かが言った言葉を聞いて 自分の意見と全く違っていたとする。


まずは 自分を基準にして 物を考えてしまうので 

当然 腹が立ったり 悲しくなったり いろんな感情がわいてきますよね。


でも もう一度よく考えてみて。


その人は自分と全く同じ人生を歩いてきた人ではないですよね。

経験してきた 喜びも 悲しみも 辛さも 一緒のものではないはずです。


だとしたら…


同じ基準で ものを見ることはできないんじゃないでしょうか?



例えば 私には子供がいません。


どうして子供がいないのか 人にはそれぞれ事情があって

事実はひとつでも 理由はひとつではないはずです。



自分の意思で子供をもたなかった人… 

子供はほしいけれども どうしても恵まれなかった人…


いろいろだと思います。



でも 結婚しているのに子供がいない というただその事実だけを取り上げて


「どうして 子供を産まないの?」とか

「子供がいないと楽でいいわね。」とか

「子供がきらいなの?」とか


いろんなことを言う人がいます。



私には 私の事情があり また別の人には別の事情があって

もしかしたら そのことは一番ふれられたくないことかもしれない。



でも 一般論で 「結婚している = 子供がいる」 という図式しか

頭に描けない人がたくさんいるのも事実です。


ほとんどの人にとって「あたりまえの幸せ」が 

あたりまえに与えられなかった人だってたくさんいるということに気づけないんですね。


結婚してるか してないかも 同じですよね。


その人その人の いろいろな事情や背景を知らずに ただ一般論でものを考えるのは

知らぬまに相手を傷つけてしまうことにもなりかねません。


考えて見ると 世の中に「あたりまえの幸せ」なんてないんですよね。


縁があって 結婚するのも

結婚して 子供に恵まれるのも

健康で 毎日元気に過ごせるのも


決して「あたりまえ」のことなんかじゃないんですよね。きっと。


でも 「あたりまえ」にそういった幸せを手に入れてしまった人たちには気づけない…。


きっと私だって あたりまえな人生を歩んでいたら 同じだったと思います。


「あたりまえなこと」が手に入らないというのは とてもつらいことです。

悲しいことです。


誰だって どうして私だけ? って気持ちになってしまいます。


でも「あたりまえ」じゃないことを経験したおかげで


人の気持ちがよりわかるようになれたし

自分のまわりにある 小さな幸せを大切にしようって気持ちにもなれた。


それは これから生きていく上で すごくすごく大切なことで

これからの人生を 明るく楽しくしてくれるものだって思ってます。


事実はひとつでも 

その理由はひとつじゃないってことに もっと多くの人が気づいてくれたなら


世の中はもっともっと 住みやすくて ステキな場所になるのでしょうに…。







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