空のむこうにみえたもの
美空:misora



 ”言葉にする”こと

文字書きの私がこんなことを言う(書く)のは、一体どういうことかとお思いになるかもしれないが、この数日の思いを“書いて”みようと思う。

先日仕事の都合で図書館へ出向いた。
目的の本は特になかったので、何かお勧めの本はないかと図書館推薦のお勧めコーナーをボーっと眺めていた。
読書の秋を意識した感の色濃い書物が新刊をメインに並べられていた。
眺めることしばし、私の目に一冊の本が留まった。
そのタイトルに惹かれるように手に取った本は文庫本サイズの150ページ程度の薄い小説だった。

『天空』

ご存知の方もあるかもしれない。
柏森さとみサンという長崎県出身の挿絵ライターさんが書いたものだ。

「わたし」は身動きできないほど
   縛られていた過去の鎖から
     少しずつ解かれていく―――。
            (背表紙より)

本の背表紙にかいてあった文章を読んで、私はこの本を借りるのではなく、内容を確認することもなく“購入”することを決めた。
この本を購入しなくてはいけないと強く思った。

そして、その日の夕方には本屋へ車を走らせ注文を依頼した。
が・・・この本。
出版部数が少なかったらしく、現段階では品切れとのことだった。
次の増刷もいつになるか分からないとのことで、いつ入荷できるかも分からないと店員さんに念を押された。
『それでも構いません。』と注文をして帰った。

それから2週間程過ぎた頃だったか、私の携帯電話に“入荷しました!”という知らせが届いた。
そして昨日の夕方、仕事が済んだ後に引き取りに行った。
すぐ読みたかったが、昨日の夜は日記のとおりバドの練習だったのでページを開くことは出来ず、結局今日読んた。
150ページというページ量だったからかも知れないが一気に読み終えた。
内容的にも読み続けるのに苦になるものではなかったからだとも思う。

内容は。。。
ぜひ、皆様も一度手にとって読んでみていただきたい。
薄さのせいもあって内容が少々足りていない気もしないではないが、それでも一読する甲斐は往々にしてあると思う。
少なくとも私は、この本に出会えてよかったと心から思う。
出会うべくして出会った本だとも思っている。
先日から言葉について考えることが多くなっていた私にとって、この本はその答えをくれたようにさえ思う。

「言葉にすることで、人はあんしんするのかもしれない」(本文より)

先日の日記に『言葉は不完全なコミュニケーションツール』だという言葉に出会ったと書いたが、これを教えてくれた人はこうも言っていた。
“言葉は感情を現す手段の一つであって、今の正しい気持ちを言い表しているものではない”と。
確かにそうなのかもしれないなと思った。
“愛している”という言葉だけが、愛の表現方法ではないし、その言葉の裏にはもっと複雑で深い感情があるはずなのだ。
でも、それを全て言葉にするのは難しく不可能なので、最も手っ取り早く相手を安心させることが出来る“愛している”という言葉を用いているだけなのだろう。

文字書きのくせに、血迷ったかと思われるかもしれないが、今私の中で“言葉”が不完全で無意味なモノに見え始めているのは事実だ。
それでも、私はこうやって文字を使って感情(考え)を表現している。

“言葉には魂が宿る”

これは揺ぎ無い真実だと思っている。
神に祈りを捧げる時、声に出して祈るという行為には“言霊”を信じる者の願いが込められているのだと思う。
不言実行は確かに美徳かもしれない。
たが、有言実行の何が悪いのだろうか。
言わないことも言うことも、どちらも正しい選択なのだろうと思い始めている。
時として言わなければならない場面があり、時として言う必要がない場面がある。
だたそれだけのことなのだろう。

私は、傍にいない人に想いを伝えるべく言葉に想いを託す。
それをどう受け止めるかは、受け止める側の心の位置次第なのだろう。
誰かには大きく心に響く言葉となり、誰かには陳腐な言葉として映る。
言葉とは、そういった二面性を秘めているのだなと、この数日間で痛感した。
行動に移すことも時には良いのだろう。
時には言葉を用いることも。
必要な時に必要な手段を使うことが出来ればそれで良いのではないかと思う。


多分私は、これからも言葉を表現の手段として遣い続ける。
例えそれが不完全で無意味なものであったとしても、一人でもその言葉で何かを得ることが出来るのなら。
私が書いたものがどのくらいのモノなのかは分からないし、何かを動かせるほどの力があるとも思えない。
それでも、やはり書き続けたい。

それは私自身の為でもあるから。


2007年11月11日(日)
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