| 2002年08月31日(土) |
インターネットの匿名性をどう考えるか |
台風15号の影響で一日雨が降り続いた。今日予定の屋外行事が中止となってので、一日情報収集のためのネット検索をしていた。 HPを開設して4カ月。様々な事項でお世話になった方へのお礼状もメールにする事が多くなったので、必然的にアクセスしていただける数も多くなり、カウント1000も間近になって来た。有り難い事だ。 ネットに接続してからのこの2年間を振り返って見ると、最初の頃は、市議会一般質問のネタを捜すための検索がほとんどであったものが、HPを開設してからここ数ヶ月のPC使用形態が変わってきた様に思う。 今まで全然関心が無かった、というよりも存在することを人づてに聞き、薄々としか認識していなかった分野でのネット利用を、目の当たりにする事が多くなったということだ。 予定変更となった一日、ネット検索をしていて、今まで覗いたことのないページを開いて見て、このインターネットの匿名性への懸念を初めて認識した。 この魅力に溢れるネットの世界を堪能している方々にとっては、このような事を書けば、この市議会議員、なんだ今頃感じたのかと言われるだろうが、私にとっては初めて覗く世界だったのだから、お叱りを受けてもしょうがない。 初めて覗いた世界には、このシステムの匿名性を良いことに人間の一番下等な部分をさらけ出す事象が存在しており、「そうなのか」こういう方達もPCのキーを叩いているのか、と社会の現実と向かいあって数分間固まっている自分がいた。
実際の話ではこういう感覚は、この3月に自治体合併について勉強するため、ネット上に提示された合併情報を1週間ほどかかって1000件ほど検索していたとき、合併しませんと表明した「矢祭町」の事を中傷する「矢祭血祭り」という書き込みに行き当たり、唖然とした時以来だった。 だが、今回のものは個人を特定するものであり、2度目でも前回の感覚とは違ったショックを受けた。 それでも気を取り直して様々なページを読み進むうちに、そんな世界はネット上のごく限られた一部分でしかなく、非望・中傷・なりすましなどの事象は文章を読めばすぐに「ばれてしまう」ように感じだして、パンドラの箱の底に残っていたという「希望」は失わなくてもいいように思い直した。
夜7時半から西条のレストラン「ミロワール」で昨日のコンサートの打ち上げ会。 直樹と京子さんを囲み、各家庭の子供達も参加しての食事会は、店のマスターの心のこもった料理と、選りすぐりのワインでもって十二分に満足だった。 17・8歳の若者とも同席したが、そのような世代の若者と話をしていると、私の精神までもが若返るようだ。 こちらが持っている社会的な肩書きをぬきにして、ストレートな感覚で接してくれるからありがたい。 今回の催しが、この子達の精神的財産として長く持ち続けてくれる事を感じる。 それだけで、今日という日が良い日だったと思う。
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