再び、佐世保の小6カッターナイフ殺人事件について。
殺人の動機は、ネット上のトラブル。 殺人のイメージは「バトルロワイアル」。
本人も二次創作で「バトルロワイアル」をモデルにした自作小説を書いていたそうだ。登場人物に被害者の女の子の名前もあったという。
最近、小説家を希望している子供・青少年がたくさんいるらしい。 スポーツ、恋愛など学園青春物小説とか、二次創作といわれる小説、つまり人気のある漫画やアニメの登場人物を借りてきて自分のオリジナル小説を創りあげて書く。ひらたく言うと、「パクリ」のこと。
今回、小説のアイデアの出所はさほど問題にしないことにする。 ただ、創作をしているときの精神状態に注目しないといけない。
私自身、たいした文章量も生み出していないけれど、日頃、地道に創作活動を続けている。日常をからめたフィクションも書く。現実がベースではあるけど、ときどき、どこからどこまでが虚構なのかわからなくなることがある。
ただの記憶というのは漠然としたものであるから、いつのまにか薄れて忘れ去ってしまう。ところが、いったん文章にして書き留めておくと、そのシーンがいつでも鮮やかに蘇るようになる。
それが日記であれ、フィクションであれ。鮮明にイメージが蘇るものだから、フィクションも現実にあったことのように思えてくる。
私の場合、短編であれば、頭の中だけのでっち上げ話としてささっと書いてしまうことが多いけど、長編では、執筆期間も長期にわたるし、そのうち登場人物が自分の分身のように完全に独立してしまう。
話の中でイメージが自由奔放に動き始めたら、そこで現実離れした新しい世界が確立する。人間の想像力というのは無限大であるから、例えばそこで誰かと激しい恋愛関係に陥ることも可能だし、想像を絶する残虐な殺人も可能である。
たまに根を詰めて読んだり書いたりすると、そのイメージの虚構の世界から現実の世界へすぐに戻ってこられないことがある。 創作活動の怖さでもある。
実際、私はごく普通の主婦であるから、ごはんの催促コールや洗濯物の山、空っぽの冷蔵庫を前に、いつも現実社会のほうで途方に暮れてしまうのだ。 小学生ならばどうか。子供のイメージ力はあなどれない。 大人よりはるかに発想力、想像力がある。 「バトルロワイアル」のように、同世代がモデルの殺戮小説に熱中したら、どうなることだろう。ましてやいまの子供たちはゲーム世代で、バーチャルな想像の世界で生きている。
現実との境目を見失うことなどいとも簡単であろう。
加害者の女の子は初めから殺意を持って、後ろから首を切ったという。 傷の深さは10cmにも及ぶといい、おふざけの真似事で怜美ちゃんを死に至らしめてしまったわけではない。 そのとき、女の子は現実とは異次元の、虚構の世界の中で息づいて、完全に自分を見失っていたのだろうな・・・と思い知らされ、私は改めて胸を痛めた。
若いうちから創作に携わるのならば、若い柔軟な頭で、想像力だけの世界と現実との切り替えをうまくコントロールできるようにしないといけない。
それ以前に、子供たちには、残虐な映画やゲーム、猥褻画像など、幼いうちから有害な情報を決して目に触れることのないよう、今後大人は社会を挙げて十二分に配慮しなければならないだろう。
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