長崎の小学校内でおぞましい殺人事件がおきてしまった。
<うぜークラス つーか私のいるクラスうざってー>。 <下品な愚民や> <喧嘩(けんか)売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレ(根性なし)や> <高慢でジコマン(自己満足)なデブス(デブでブス)や> (HPで書いている二次創作)<私は……殺し合い、なんて、人を奪うことは許されないので殺し合いなんてしません(何きれいごと吐いてるんだ)>
上記は小6の加害者の女の子がHP上で書いていた言葉の一部。 毎日新聞のニュースで紹介されていたので、引用した。
世の中の人間全てにいらついているようなセリフ、今時の小学校6年生はこのように日常的に表現してしまうのだろうか。・・・いや普通はしないだろう。
この子はストレスを抱えている。 そのストレスが極限にきたときに、何かが狂ってしまった。
この事件では、「命の大切さ」云々よりも、小学生が親友に対して殺意を抱くまでの動機というか子供たちの背景が注目を浴びそうだ。
事件を起こすような子は、親の目、先生の目からみて、全く問題の無い子のように見えるという。この事件でも「普通の家庭で育ったごく普通の女の子」という報道があった。
大人目に見ていい子に振舞うことができる子供というのは、幼少期の反抗期に十分な反抗をして、感情の発散をしてこなかった子達なのではないかと思う。
そういうケースは、大概、親が異常に厳しすぎて、反抗的な態度をとることすら許されない家庭環境だったことが多い。大概、無理していいこ風に振舞うものだ。
幼児期にまわりの人間関係を通していろんな感情が芽生えはじめ、発育に伴い様々な感情の分化が見られる。2、3歳頃の反抗期を通して、その感情の処理方法、発散方法をひとりで学ぶものなのだ。
その反抗期の芽を親が摘んでしまったら、地震のエネルギーが極限まで蓄積するかのように、やがて大きくなってから取り返しのつかない形で心の歪みが爆発する。今回は殺傷という形でカミングアウトした。
自分たちのHPの内容も興味深い。 人前でいいこ風に振舞っていても、HPではついつい本音、本性が出てしまう。大人なら分別を持って、書き控えたりはするけど、小学生は明らかに子供なのだ。感情の赴くまま、なんでもかんでもストレートに吐露していたに違いない。潜在的に抱えていたストレスを全て文字にしたりするのだろう。
小学校の高学年にもなると、かなり的確に自分の内面を表現できるものだ。できるゆえ、冒頭の書き込みを目にして、私はひどく胸が傷む思いをした。あれは、心の上っ面を書いた言葉遊びなどではない。 (引用だけでわかりにくいかもしれないけど)
今後、いろんな情報が飛び交うだろう。ここで書いたことはほんの側面的な内容で、正しくないかもしれない。
私は少なからずも、デリケートな年齢の女の子がチャット上で何の良心の呵責を感じることもなく感情の分水嶺を越えほどまでの発言を書いてしまうような日本の世の中を憂いている。どうなってしまったのだ、ニッポン。
海外でわが子供たちはのびのび成長している。
小さい社会ながらも、それでも友達間でいやなことがあったり、けんかのひとつもして、悩んだりすることもあるようだ。これも成長に必要な試練なのである。
私は子供たちの心の窓口となって、時には耳を傾けて学校の様子や友達のことをきくよう心がけている。大概は自分で処理できるようなことではあるけれど、ケースによっては、微力ながらも大人が介入したほうがよいこともある。
この長崎の事件をきっかけに、もっともっと子供とコミュニケーションをとって、子供の心の中をすぐにでも見られる関係を作っておきたいと思った。
なんといったって、この事件は子供たちの年齢にとても近いのだ。 他人事では済まされないと思う。 子供と一緒にこの事件についてはしっかり話し合いたいなと思っている。
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