薔薇園コアラの秘密日記

2004年04月15日(木) 棟方志功と父

 いつの間にか、四月の前半が過ぎてしまった。
 
 春休みもイースター休暇もあったので、創作がすすんでいない。
 締め切りを設けているわけではないので、お休みしていてもいいわけだけど、一気呵成に書き上げようと思いつつも、イレギュラーに予定が入り、あっという間に日が過ぎていく。

 いま、JSTVで棟方志功の特別番組が放送されている。
「わだばゴッホになる」といって、世界のムナカタになった棟方志功。

 棟方志功は、戦時中、富山県福光町に疎開しており、私の実家がある魚津をよく訪ねていたらしい。
 ちょっとした縁で、父は棟方志功と交流があった。
 独特の版画に直筆の一言が添えられた何通もの葉書が家に家宝として保存されている。

 志功と父との出会いというのも、物語になる。

 戦後、疎開先の富山から東京に戻った志功は、都内で書道の個展を開いた。父が上京して、貧乏な学生をしていた頃のことだった。
 多少の書の心得があった父は、是非とも志功の書を鑑賞したいと切望し、画廊へと足を運んだそうだ。

 そこで、芳名録に名前と実家の住所を記したところ、棟方夫人の目にとまったようだ。
「お父さん、富山出身の方が観にきてくださっているわよ」
と、(青森弁でだろうけど)夫人は志功に嬉しそうに告げたという。

 かつて自分たちが世話になった疎開先の富山県出身者が、東京で勉学にいそしみながらも、こうして自分の個展にまで足を運んでくれたということが、志功にとってはこの上なくうれしかったらしい。

 後日志功夫妻から、書の道をかじる父に、是非自宅へ遊びに来るようにと連絡があったそうだ。自分たちの恩のある富山の出身者を懐かしむということもあったのだろう。

 そうして、以降、志功と父との長い交流が始まった。
 
 父は仕事柄、いまだにさらさらと筆で字を書いたりする。かつてはその書の腕はかなりのものだったらしく、大きな賞をもらったこともあるらしい。そういった書にかける情熱も、棟方志功の創作への姿勢に大きく影響されたのだろうと思われる。

 私の両親は、自分たちがいまだに俳句などをたしなむせいか、ジャンルが違っても、創作に携わるということに対してはとても理解がある。海外で孤軍奮闘している私を温かく見守っていてくれる。

 さてと。それでは世界のムナカタに見習って、私も意欲的に取り組むことにするか。
 



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祐子 [MAIL]

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