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日々。
サイ
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2006年09月04日(月)
後半。

この世の中には幸いにして甘えの欲求を小さい頃満たされた人も居るし、不幸にして満たされなかった人も居る。
満たされなかったという人は、それを素直に認めて、どう満たそうかと考えるのが大人である。
認められず、合理化や正当化をしている限りいつになっても大人になれないし、神経症的人生で生涯をおわるしかなくなってしまう。



「何か分からない」のは自分に嘘をついているからである。
心の底の底では何でだか分かっている。
ただ、意識のうえで分からないだけである。
実際は幼稚でケチな人間なのに、立派な大人だと、意識のうえで錯覚しているから「何でだか分からない」のだ。



他人の「好き」と言う言葉に安心できない人は、自分が自分を心の底では嫌いなのである。
そして嫌いという感じ方から眼を背け、抑圧する。
そして抑圧したものを他人に投影する。
つまり他人は自分を嫌いなんだと、自分で思う。
そのような人は社会的な名誉を得ても、他人の好意に接しても、他人の言うことを信じることはできない。
表面的には好意を分かっても、どうしても信じきれない。
他人の好意に接して疲れるという人も同じだ。



あなたは自分の何を他人に隠そうとしているのか。
あなたは自分の何が他人に知られることを恐れているのか。
あなたは心の底で自分に自信がないことを知っている。
心の底で自分に失望している。
しかしそのことを他人に知られたくないから、他人には自信がある「ふり」をする。
欠点があったら見捨てられると不安になって、それを隠そうとしてしまう。



好かれているということは、何もしてあげなくても、相手は自分と一緒に居ることで満足しているということ。



小さい頃、自分は愛されない存在だと情報不足のなかで決め込んだのは自分なのである。
そして大人になって、それには何の根拠もないと気がついた以上、
今度は「自分は生きるに値する存在なのだ」と自分で決断しなければならない。



まず自分に本気で優しくすること。
自分が自分の理解者であり、自分の保護者になろうとすること。
日常生活で疲れたとき、無理に笑顔ふりまき立派そうにすることはない。
自分の気に入った服を着ることを自分に許すことだ。人に気に入られる為の服など着る必要はどこにもないのだ。




↑以上。学んだことでした!



優しく〜自己愛。自己愛。