2009年03月22日(日)  空気を読んで使い分ける、たま2歳7か月。

またまたあっという間にひと月経ち、娘のたまは2歳7か月。「いつの間にこんなことができるようになったんだ!」と驚いてしまうのは、週末も仕事でダンナやじいじばあばに見てもらうことが多いせいかもしれない。先月に続いて、なりきり芝居の腕を上げ、保育園に登園してからお散歩に出かけるまでの「ほいくえんごっこ」、交替で「ママ役」と「赤ちゃん役」を演じる「おやこごっこ」がお気に入り。

親子ごっこの赤ちゃん役は「バブ」しか口にしてはならず、「バブ」の微妙なニュアンスで喜怒哀楽を伝える高度な技術を要求される。応援団時代の「押忍(オス)五段活用」(=「応援団のリーダー部下級生が「押忍」だけで、ごっつぁんされる喜びや先輩に怒鳴られた落ち込みや反省や疑問を表現する宴会芸」を思い出しながら、「バブ? バブ〜。バブバブ?」などとやっているが、電車の中などで「あかちゃんになって」と言われると、かなり恥ずかしい。甘えたなくせに世話焼きで、人形たちだけでなく、親の世話も焼きたがる。お節介はたま語にも現れ、わたしが風呂上がりにおむつをはかせようとすると「ママ じぶんのパンツはきな」と人の心配をし、椅子にあぐらをかくダンナに「パパたいどわるいよ。おおかみくるよ」と注意する。

体を使った遊びも好きで、風呂上がりは「おすもうさんごっこ」や「おうまさんごっこ」で大はりきり。そこからが遊びの時間のはじまりよという感じで、あいかわらず寝かしつけるのに苦労する。今日の夜、テレビのニュースで大相撲の結果をやっているのを指差し、「あ、おすもうさんごっこしてる」。それは本物です。

お調子者なところは両親に似たのか、人を笑わせるのが好きで、「たまちゃん」と言えるようになったのに、いまだに「たべる」を「ばべる」と言い続けているのは、大人がウケるのが楽しいからではという気もする。そのくせ、失敗したのを笑われると、ひどく傷ついて泣き出したりするナイーブな一面も。わたしとダンナと味噌汁の具を相談していたら、「バナナがいいんじゃない? バナナたべるとつよくなるよ」と提案してくれたのを大笑いすると、へこんでしまった。恥をネタにできるたくましさが備わればと関西人のわたしは思うけれど、東京で生きて行くなら、かわいく恥じらっていればいいのかもしれない。

もともと場の空気を読む性質があったけれど、このひと月でそれがいっそう強くなった。わたしが出かけるときの持ち物や服装やダンナと交わす言葉で「仕事か、遊びか」がわかるらしく、「仕事だから、ごねても無駄」だとわかればおとなしく見送るが、「遊びだから、ごねれば何とかなる」と判断すると、泣いてすがる。その的中率の高さには驚かされる。子どもなりに気を遣っているんだなといじらしくもあり、空気を読む子の気持ちをできるだけ汲んでやりたいと思う。

娘と過ごせる限られた時間に家事をこなすための解決策で、「お手伝い」を「遊び」にして一緒にやるようにしている。魔法の粉(=重曹)で家の中を磨いたり、バナナパンの卵割りや粉ふるいや混ぜまぜをしたり。洗濯物を畳むのも覚えて、面白がってやってくれる(畳んだ後ですぐ広げて再びたたむので効率は良くない)。家事は面倒くさくなると負担だけれど、娘が「こんなたのしいあそびはないわ」と目を輝かせてやってくれると、こちらも楽しくなって、けっこうはかどる。『トムソーヤの冒険』のペンキ塗りのエピソードと同じこと。

トイレは前進したり後戻りしたり。保育園から持ち帰るおむつがゼロ(つまり、全部トイレで済ませている)の日もあれば4枚の日も。なぜか外出先での成功率が高く、駅の「だれでもトイレ」や店のトイレでうまく行く。いつもと違うトイレに入るのが探険気分で楽しいのかもしれない。

卒乳の気配はまだなく、とんとん(=おっぱい)はすっかりお友だちで、どこか出かけるときに「とんとんも一緒に行くの?」と言ったりする。「たま、いつまでとんとん飲む気?」と聞くと、「いつまでも」。

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2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転
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