きっちり筋肉痛はやってきた。
やっぱ体の衰えはどーしよーもないわね。
コンサートスタッフって、かなりの肉体労働なのですよ。
音響機材は重いですから。
それに加え、ケータリングのドリンク類や備品も結構重い。
重い箱を持って階段を何往復もするだけで、足の筋肉はプルプル引きつっておりましたわよ。
いかんねえ、これしきのことで。 情けないわあ。
最近、気持ちはいってても、体がついていかない事が多い。
あ、記憶もね。 だんだん薄れてるのか? こうして憧れの年齢に近づいてゆくのね。
じゅんこさんの憧れは、綺麗で若々しい女性 ではない。
大好きで憧れるのは、70歳以降の 老人 と呼ばれる人達だ。
年を重ね、顔はシワシワで、手もガサガサで、日焼けのシミもいっぱいだけど、笑顔が屈託のない人達。
戦争を体験して、食料のない時代も知ってて、人間のエゴもイヤというほど体験して、そんな中で子供を産み、育てながらも、亡くした子も多かっただろう人々。
本当の意味で、必死に生きてきた人達だ。
長い時代の移り変わりを見てきてる貴重な人たちだよね。
その生き様が、手や顔にあらわれてる。
私の亡くなった叔父は、死の直前、自分の息子に 「俺の死に様を見ておけ」 と言ったそうだ。
絵描きであり、デザインも手がけ、まさに絵に描いたような芸術家だった叔父の生き様は、姪っ子の私たちもよく知っている。
家庭があってもフランスで何年も仕事をしてしまうような叔父は、娘の結婚式にも日本に戻らず、 「これでドレスを仕立てなさい」 と、上等な布地を送ってくるような人だったのだ。 その当時、まだ19才くらいだった私は、「なんで娘の結婚式なのに帰ってこないの? お父さんなのに。」 と、理解できなかったのだが、今は叔父のその気持ちがわかる。
絵や芸術に対する情熱が勝ってしまったのだ。
自分の生き方を曲げる事が、叔父にはできなかったんだね。
その叔父が死ぬ時は、息子がずっとついていた。 父の最初で最期の息子へのメッセージ。
人間的だなあと思った。
本気で生きてきた人にしか言えない言葉だ。
家庭にホンモノの芸術家が存在する恵まれた環境で育ってきたその息子(私のいとこ)は、やはり、父と同じ道で生きている。
ヤフーで、なにげに彼の名前で検索した時、何百件もヒットしてビックリした。
うちの父は、彼の個展やトークショウがあるたび顔をだし、「あいつは俺の甥っ子なんだ」 と、ファンの人達にサインをあげているらしい。
甥っ子の活躍が嬉しい気持ちはわかるが、う〜む、どうなんだろう? それじゃあ、ただのミーハーと同じじゃないの! と思う娘の私。
業界関係者に友人の多い父。
私は、こんな父のおかげで、アイドルにされそうになったり、テレビ局やオリコンやプロダクションなどの事務所が遊び場だったりという子供時代を過ごしてきてるので、今のようなふてぶてしい人格になってしまったのね、きっと。 子供ながらに大人の裏事情をみてきちゃったからね。 敵と味方を完全に区別するやり方は、こーゆー環境で育った私は人一倍、強い。
人の生き方は様々だけど、あつく沸きあがる感情は押さえないで、妥協しないで生きていたい。
いくつになっても、まだまだなんだろうなあ。
人間って、大変だわあ。
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