un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年06月28日(土) 青年団「海よりも長い夜」(再観劇)

  焦らず、弛まず、一本の細い糸をたぐるようにつけられる、
  デリケートな演出に、どかは初めて、主宰の執念の恐ろしさを感じた。
  感情に対する理性の布置、チタニウムではなくオブラートを作る狂気。


二度目、しかも例の富士見市が会場で遠い。
でも、前回の印象(→@シアタートラム)があまりに強烈だったし、
どうしてももいちど、観たくなった、絶対、傑作やもんこれわ。

どかの友人のバンド one tone(→@STAR PINE'S CAFE他)のメンバー、
ゆうやクン&ちなつサンにふじみ野駅でピックアップしてもらって、
3人で観に行く、ソワレ@富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ。
ついてみると、メインホールの舞台上にあしらえた特設の客席、
大きいステージを区切って使う、小劇場劇団の裏技的設営、ひさびさに。
でも、マルチホール(→暗愚小傳で使った会場)があるのに、
わざわざこっちでするのはなぜ?と思うどか
(この疑問はアフタートークで主宰自らの口より回答された>つまり、
 こんな舞台の使い方もあるんだよと、富士見市民に、提示したかったんだと)。

まあ、暗い。
とにかく、暗い、重い脚本。
青年団の作品中、最もどんより暗い会話劇のなかの1つだろう。
どかが、この舞台を「ソウル市民1919」と並んで最重要な青年団とする、
第一の理由は、前半からじっくり練り込まれる狂気が立ち上がる瞬間、
その完全なる沈黙の「響き」なんだと思う。

その「個人」をじわじわと締め上げる沈黙とは、なんなのだろう?

それはきっと、「集団」の不能性の暗闇から、しみ出してくるもの。
そして「理想」が原罪的に免れよう無く侵蝕されていった残骸。
たぶん、そんななんやかやを、ぎぅーっと圧縮したら、
この舞台の終盤みたいに客席に対して、
とんでもない求心力をもつ沈黙が生まれるのだろう。

二回目で特に印象が強かったのは、ラストの沈黙もさることながら、
序盤から中盤にかけての、プロットの展開の仕方の巧みさ、そして、
役者につけられた演出の、おそらく現在の小劇場界随一の細やかさだった。
どかはもう、開演時点で、出てくるキャラクターの相関関係を全部知ってたから
(例えば、夫婦とか同僚とか敵対関係とか不倫関係とか、ね)、
なおさら、微妙な関係の2人の細かな表情とかが、
興味深くて仕方がなかったな、多分初見の観客が気づけないであろう、
一瞬の表情の曇りとか、そんなのを追っていけばいくほど、
主宰の劇世界構築にかける、ナイーブな執念が身に沁みる。

それぞれ登場人物の個人個人をみてると、ごく普通のヒトたちなんだけど、
少しずつ、少しずつ、それぞれの関係性のなかに生じる不協和音が、
いつもの風景に混じっていって、そのいびつな響きが、
まっしろなステージ上に徐々に徐々に染みを作っていくんだよね。
この「徐々に徐々に」という作劇にこそ、どかは今回、感銘を受けた。
いきなり染みが大きくなりすぎそうになったら、ギミックを入れて、
軽く笑いをとったり、客席をなごませたり、その後は、
意表をつくような少しヘビーな展開をどんっと持ってきたり。
とにかく客席は気づいたら主宰の手のひらのうえでころころ転がされる。
いぜん、平田オリザが何かの本で言ってたことは、誇張でも何でも無いんだな。


  仮にも演出家を生業としているヒトならば、
  カルト宗教なんて、かんたんにはじめられる。
  集団心理を軽く操るノウハウぐらい知らないと、
  演出なんて務まってないんだから。


そう考えると、空恐ろしい職業なのだわ、演出家ってば。

そう。
で、そうやって丹念に丹念に演出と役者によって練り込まれていく異世界で、
いつのまにか(この「いつのまにか」というのがポイント)、
その染みはもはや漂白も追いつかないような、
致命的なものになっていることを観客は知り、愕然とする。
だけどもう、どうしようもなく「沈黙」に絡め取られて抜け出せない。
耳を覆いたくなるような、不協和音の沈黙が延々と鳴り響いて止まないラスト、
観客はそれぞれの「印象」や「感想」を胸に抱いて、
それぞれの「海よりも長い夜」を泳いで現実世界に戻らなくてはならない。
カーテンコール、ぼんやりと舞台上の役者に拍手を送りながら。

どかは「理想の原罪的侵蝕」を思いながらも、でも、
ラストシーンの、女子寮の先輩と後輩が一緒に歌を歌うシーンを思い出して、
涙ぐんでしまう。
その女子寮の先輩と後輩というのは実は、
市民運動のリーダーを務めた男性の妻とその男性の不倫相手なのだけれど、
もう胸がふさがってしまうような辛くて厳しい修羅場のただなかで、
それでも2人は、一緒に寮歌を口ずさむ、その歌の美しいメロディ。
きっと、いや間違いなくこの2人は、この終演後もこの劇世界が続くとして、
さらにドロドロの辛い毎日の現実にもがかなくてはならないのだけれども、
ただ、この時は、ただ、いまだけは、
不協和音のただ中にかき消されそうな美しいメロディをそっと唱和して。
明日にはもう、この明かりはどこにも無いかも知れないけれど、
これが最後かも知れないけれど、でもいま、確かにここには、
明かりがある。

この「いま」と「ここ」という2つのことを、
どれだけ説得力を持って、リアリティを付与することが出来るか。
それこそが良い演劇の唯一無二の絶対条件であるとするならば、
どかは青年団作「海よりも長い夜」こそは、この劇団の、ひいては、
日本小劇場界史上屈指の傑作だと思うのである。

と、大仰な文句をいいつつも、どかの心はアフタートークで出てきた、
女優、辻サンの可憐さにポワーッと昇天していた。
大好きー、辻さんー♪
上手いし、カワイいし、もう、ぽわー(・・・アホだ)。

見終わって、one toneのお二人と一緒に夕食。
パスタを食べながらこの舞台の感想とか、先日のライブの話、
彼らの創作活動についての、いろんな話をして面白かった。
ゆうやクンは、ほとんど初めて会話をしたけれど、
見たまんまの優しくて穏やかな人柄で、ほんとうにイイヒトだなーって
(ちょっと、自分が恥ずかしくなるどか)。
実はどかと高校が一緒というちなつサンと、
超ローカルトークで盛り上がったりして、楽しかった。


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