un capodoglio d'avorio
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2003年06月27日(金) パコダテ人(映画)ー宮崎あおいのオーラについてー

宮崎あおい嬢は先に見た「害虫」とこの「パコダテ人」以外にも、
映画の出演作はけっこうあるみたい。
で、サントリーの「緑水」とかクノールカップスープ、
あと東北のDOCOMOのCMは全部、あおいチャンらしく
(なぜ、関東はサカグチふぜいが出てるんだあ、おかしいよ・・・?)。
まあ、その東北DOCOMOのCMまできっちりチェックした上でどかが思うのは、
自分のチャンネル切り替えの確かさだった、すごい集中力だなあ。
その辺のアイドルにありがちな自分の「素」をだらしなく流すのではなく、
もっともっとありがちな作られたお仕着せの「演技」をするのでもなく、
きちんとその場の空気と自分の接点の摩擦の中に説得力を落とし込む術を、
おそるべきこの1985年生まれはすでに知っている。

「パコダテ人」でも、本当にそうだと思う。
周囲の熱狂と、かけがえのない家族との挾間で、
自らに降りかかったこの「しっぽ=不条理」をどう受け入れていくか、
そして熱狂が迫害に変わったとき、自分のスタンスをどうとるべきなのか。
「害虫」のときの、自分の痙攣する心をネガティブに内に抱え込んだ、
その余韻を感じさせるような静かな哀しみではなく、
もっとポジティブで、不条理に対して身体を張って、
肩で風をきって歩いていく風な優しい悲しさを感じる。
その透明な瞳が、
まぶしい笑顔が、
物憂げな横顔が、
いじらしい口元が、
すべてが1つのベクトルに向かって、
日野ひかるという主人公がが何を恥として、
何を大切とするかに向かって収斂されていく。
ありがちな「素」やかたどおりの「演技」が混じらないから、
このドライビングフォースは途切れない、途切れないから、
観てる人の気持ちがどんどん巻き込まれて連れて行かれる。
顔だけ見ていればそれほどむちゃくちゃ目を惹くわけではないのに、
動いている彼女はワンシーンごとに、どかの網膜にシュプールを残す。
そのシュプールはずーっとのびてのびて、見えなくなるくらいのびて、
ついにアラスカのオーロラの向こうに届くくらい。

いろんな不条理が自分の身に降りかかってくることをあるとき知って、
で、そんなことに怯えながらうつむいて肩を振るわせて、
自分の力ではどうすることもできないようなショックとは、
時間が過ぎることの痛さをただ伝えにくるものだと知り、
そしてそれに留まらず、後ろからむりやり時間を押して、
その摩擦でひじやひざや感情はすり切れて。
でも、それでも時間を止めてくれる美しいものがこの世にあると信じて、
それは例えばマイナス40℃の吹雪の中、
雪のなかに寝っ転がってひたすら夜空が晴れるのを待つように、
もしくはマイナス5℃の中、奈良の盆地を30時間歩き続けて、
その果てにたどり着く木津川のめのう色の川面の美しさに息を飲むような、
そんなものの存在を信じることくらいしか、せめてそのくらい。

吹雪く曇天の向こうのオーロラの明かりを。
80kmの山向こうの川面の煌めきを。
ヒトは志向することができる。
鴻上尚史がいみじくも語った、人間最後の自由。

宮崎あおいの澄んだ瞳には、そういう遙かなベクトルがあって、
そしてその輝く笑顔でそのベクトルをちゃんとこの世に着地させられる。
この距離感こそが、彼女のオーラ、ベンヤミン風に言うとアウラだ。
そのアウラをまとって、この映画で日野ひかるは、
ピノピカルになり、函館はパコダテになった。

そんな稀代の映画女優の魅力を精いっぱい引き出して、
泣かせて、笑わせて、ちょっといまいち、
ディテールがずれてるなあと思えるところもあるけれど。
あと「害虫」のテーマソングが、解散しちゃったけど、
日本最強のライヴバンドの1つ、
ナンバーガールでごっっっつい格好良かったけど、
でも「パコダテ人」はさすが北海道というか、
ホワイトベリーで、それがちょっと・・・(気持ちは分かるが)。
ひっくるめて、でも、大筋で良質なコメディで、とても良いと思うどか。
海外の映画賞をとった「害虫」よりもこっちのが好き。

日野ひかるのぶっとんだ姉役の松田一沙、
ひかるのしっぽをスクープした新聞記者役・萩原聖人、
あとサブキャラだけどクライマックスでめちゃくちゃかっこいい、
男やもめの子持ちしっぽ持ちサラリーマン古田役・大泉洋の三人は、
出色の出来、とくに大泉さんのエピソードを、
最後にあおいちゃんのメインプロットに絡めてくる脚本は、
とても上手くまとめられて良かったな。

にしても・・・、
あのピカルちゃんと古田さんが取り押さえられるクライマックス、
最後のオチは、ひさびさに爆笑、あれはウケる、楽しい。

そして、最後の最後にしっぽが消えて普通の女の子に戻りました。
と、するのではなく、パコダテ人のカップルが誕生するあたりに、
センスの良さを感じる。

なんだかベタ褒めだけど、それもこれも、きっとアウラが原因なんだわ。

らーぶー♪宮崎あおい、らーぶー!


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