あたろーの日記
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| 2005年09月17日(土) |
自衛隊が商店街を武器携行で行進? |
旧暦8月14日。 陸自が商店街を武装行進 長崎・佐世保で240人・・・この感覚に驚いた。自衛隊を否定する者ではないですが、できれば自衛隊もどの国の軍隊もない世の中であって欲しい。今はどの国もある程度防衛力を持たないと、力の均衡を保つことができないという哀しい世界であるからして。。。だけど、武器を持って商店街をパレードする必要があるのか?と思う。激しく驚き、疑問。商店街という、庶民の超日常的な空間に、武器を持って行進する必要性が本当にあるのか、はなはだ疑問だ。日本は戦後60年間の間に、迷彩服と武器が庶民の暮らしの中に入り込むことを異常だと感じるようになるほど、平和国家として変化してきたのではなかったのか?商店街のアーケードを武装した軍隊が行進するのを、当たり前の目で見ることができないのは、戦後日本が平和国家として成長してきたまさに賜物ではないのだろうか?でも、今はその「当たり前」の感覚も否定される世の中になってしまったんだろうか。 自衛隊の音楽隊が楽器を持ってパレードするならまったく違和感はない。富士山に登ったときも、自衛隊の山行訓練と一緒になったけれど、反発は勿論感じなかったし訓練の厳しさに頭が下がる思いがした。けれど、商店街にしかも武器を携行して、となると、話は全く別だと思う。商店街に当たり前にいる子供達の目には、その光景はどう映るのだろう?人を殺す戦争の道具を持って行進する軍隊が自分の身近に存在を主張する、それが当たり前の日常の光景であると子供達が自然に認識してしまうのは、戦後60年で培ってきた日本人の平和感覚を真っ向から否定し覆すことにならないだろうか?それともそういう感覚は「平和ボケ」で片づけられてしまうような世の中になってしまったのだろうか? 自衛隊のイラク派遣やインド洋での活動に反対ではあるけれど、日本が自衛隊を持つことの必要性はある程度理解しているし、災害時はやはり頼りになる存在であると思う。だから、わざわざ佐世保でのような形で存在をアピールする必要性は全くない。これが佐世保だけでなく、今後各地で行われるパレードの形となるなら、非常に危惧すべきではないかと感じた。大袈裟ではなく。 イラクや戦争・紛争・テロ行為の絶えない多くの国々で、子供も大人も、市民達は当たり前のごとく暴力と死の隣り合わせに生きている。軍隊や武器とは生活圏が一緒でもある。しかし、そうではない、軍隊や死が生活の隣にないと主張する国も、世界には必要ではないかと思うのだけれど・・・。それが第二次大戦後の日本の役割だと思っていたし、学校でもそう学んできたのだけれど。しかし、アメリカに追従してテロを呼び込むような国になってしまった今、それは単なる平和ボケ人間のたわごとに過ぎないのだろうか。
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