あたろーの日記
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2004年10月09日(土) 台風今と昔

 旧暦8月26日。
 と書いておきながら、今は翌日曜の朝です。台風一過の青空の下、自転車に乗って江戸散策に行ってこようと張り切って起きたのに。。。どんより曇り空です。雨が降ったりやんだりのようです。おまけに遠くでゴロゴロ雷の音もします。あーあ。でも昨日は1日閉じこもりっぱなしだったので、出かけたくてうずうずしてます。

 昨日の台風は凄かったですね。日中の激しい雨に躊躇したのですが、夕方台風の本体が来たらもっとひどくなるというので、15時の銭湯開店と同時にお風呂に入って(ざあざあ降りの中しっかり露天風呂〔注・屋根付き〕も堪能)、缶ビール買って帰ってきました。玄関のドアを開けようと鍵をいじっている間にもう雨脚が強まってきました。出かけるのがもうちょっと遅ければずぶぬれになるところでした。
 晩酌の肴作っているうちにどんどん風が強くなってきて、窓ガラスに雨がものすごい勢いで打ち付ける。とうとう雨戸も閉めました。子供の頃、ガソリンスタンドの自動洗車機に乗車したまま車ごと入れられて喜んでたことがあったけど、あんなんよりもっと凄かった。アパート全体がまるごと洗われているように、ザアーッ、ザアーッ、バシャーッ。おまけに建物も揺れる。思えば、新潟に住んでいた頃と東京に出てきてから合わせても、本格的に台風の襲来に遭ったのは少ないような気がします。子供の頃、凄い台風が来て、停電になって、ろうそくで夕ご飯食べた記憶があるのですが、台風で大変な目に遭ったのはせいぜいその程度だったような。。東日本では記録的な台風だとニュースでも言ってますが、まさにそうなんですね。台風をまともに何度も経験している沖縄や九州の人達に比べるとずいぶん慌てたりビビったり(ビビっていたのは私だけ?)。

 江戸時代に書かれた日記類の記録を読んでいると(結構笑えるし、面白いです)、「大風」「大嵐」「大雨」というのがよく出てきます。これは『武江年表』(ちくま学芸文庫)にあったのですが、

 (文政六年・1823年)八月十七日夜八時より南大風雨。所々人家を損す。怪我人・死亡の者多し。品川・高輪・鯨州辺大浪、家を没したる所、少なからず。
 (万延元年・1860年)七月二十二日より雨。二十四日朝より北大風雨、終日止まず。家屋を損じ、塀牆(かきね)を倒し、樹木を折り、海上には覆破漂蕩の船多かりしと聞こゆ。夜に入りて鎮る(所々に出水あり)。

 当時は旧暦だったので、2つとも今でいう秋の話なんだと思いますが、現代だったら、天気予報で、台風からのしめった風が流れ込み秋雨前線が活発化して、その後台風本体がやってくる、というしくみも分かるし、いつ頃風が強まりそうだという予測もつきますよね。でも昔はそうは行かなかったんですよね。ある時突然風雨が強くなる。あれよあれよという間に風速20メートル以上の暴風になって、家をなぎ倒し船を転覆させ、火事が起こったら一気に周囲に広まるし。いやはや、天気予報で天候の予測がつく現代人には、とても想像できない恐ろしい時代だったんですね。。と言っても、昔の人達はそんなこと露とも思ってなかっただろうけど。でも、今だったら、台風が来そうだから旅行は取りやめにしよう、ということもあるけれど、昔の人はそんなこと考えもせず、てくてくと出かけていった。もっとも、今の旅は万事交通機関に頼らなければできなくて、台風が来れば飛行機も新幹線も運休してしまう、だからまったく身動き取れなくなってしまうのですが、昔はそうでなかった?昔の人は自分の足で歩いてどこまでも行ったので、嵐が来れば宿場に飛び込み、民家で雨宿りさせてもらいながら、旅を進めたんですよね。現代では、連休明けには戻ってきて会社に行かなければ、とか、予定が狂ったら次の予定に響くという強迫観念がいつも頭の中にあるんだけれども、東海道をてくてく行く昔の人達の頭の中にはそういうのはあんまりなかったんだろうなあ(羨ましい。。。)。
 と思っていたら、ひとつ、ありました。船です。天気予報がなくてもマイペースで進められた(?)昔の旅、交通機関がマヒするという心配などとは無縁のように思っていましたら、船というものがありました。上の『武江年表』にも出ていますね、船が沢山転覆したり壊れたり漂流したと。しかし、台風のたびにそうだったんでしょうか。沖に出て台風が来てしまったらもう為す術なしのような気がしますものね。。。船乗りの人達は経験からなにか嵐を知らせるような自然のサインとかを知っていたんでしょうか?でなければとてもとても、私なんぞ昔の船には乗れません(-_-)
 


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