あたろーの日記
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2004年02月09日(月) 紙の上の文字。

 今日は旧暦の1月19日。
 曇りがちで、痩せていく月を観ることができない。

 今日は残業せず、銭湯に寄って20時半に帰宅。朝から水に浸しておいたお米を文化鍋で炊いている間に冷凍庫からウィンナーを出し、軽くゆでた後、冷蔵庫の獅子唐や舞茸、玉葱と一緒に炒める。オリーブ油、ニンニクで強火でサッと炒め、獅子唐の青さが鮮やかなうちに、酒、醤油をザーッと回し入れ、あまりかき混ぜずに、むしろ味にムラが出るようにして、最後に粗挽き胡椒をパッパと振り、火から下ろして、ご飯を盛ったどんぶりの上に乗せる。
 平日の夜とか、忙しい時とか、もっと時間を節約したい場合のご飯は、たいていワンプレートディッシュか、丼もの、あるいは麺類です。炭水化物のとりすぎにならないように、具は野菜を多めにして見た目で満足感を得られるようにします。ワンプレートの時は、常備菜をちょこんちょこんと盛って、流行のカフェご飯みたいな雰囲気にして気取ってみる。で、机に座ってパソコンの画面見ながら食べちゃう。誰にもとがめられないから、とってもお行儀が悪い。
 忙しくて手抜き料理が多いけど、それでも、外で食べるよりはマシ。平日は圧倒的に外ご飯だけど、ほんとは自炊しない日が数日続くとすぐ体調崩す人間。気がつくと、作っている料理は、しぜんと、自分の体にそのとき足りてない素材を使ったモノになっている。自分の体と一番長くつきあっているのは自分自身だから。・・・もっと自分の手でご飯を作る日を増やさないと。

 「一太郎2004」をあれこれいじってたけど、とても使いやすいなあって思った。使い込んで、自分のワープロに育てていこうと思う。まずはこちらが使われないようにしないと(笑)。
 
 朝起きてまずパソコンの電源を入れ、会社でも一日中パソコンを使い、帰宅してもパソコンを触り、と、一昔前に比べたら数倍もパソコン三昧の自分。今や新聞までパソコンで読み、メールマガジンやデジタル本をザウルスに入れて外にでる。手紙よりメールのやりとりのほうが断然多くなり、携帯電話の画面も日に何度も見る。そんな私だけど。

 紙に印刷された文字と、手書きの文字がやっぱり一番大切です。

 デジタルな文字はいつ目の前から消えてしまうか分からない、そんな不安に駆られながら読んでしまう。紙に書かれた文字は、ページをめくる感触を味わうことのできる本は、目の前から逃げていかない、こちらが望めば、いついかなる時でも、何度でも語りかけてくれる、そんな安心感がある。古い本の黄ばんだページ、活版印刷の味のある文字、読みながら共感して引いた傍線。分からなくても背伸びして分かったつもりで検討つけた傍線。。食べながら読んじゃった時にページに挟み込まれた、お菓子のくず。。。
 電子文具をいじっている人もかっこいいけど、ほんとは、携帯電話のキーを指でいじくっている男性達を見ても、あんまり魅力的だと思えない。ビシッとスーツ着こなした男性が必死に小さな携帯の上で親指をもぞもぞさせている姿って。。。滑稽に思えてしまう。私自身も携帯メールしてるから、これは自分勝手な見方だとは分かっているんだけど。
 それよりも、電車の中やホームで、文庫本を読んでる人を見るとハッとする。いいなぁ、って思う。男性も女性も、斜め45度に視線を落として集中している表情って、どんな人でもドキッとするほどかっこいいんだって気づいたのは、もう何年も前。周囲からは見えない、自分の目の前にだけ展開する文字の世界に夢中になっている姿は、実はとても色気のあるものなんだって思う。
 ・・・これも自分勝手な意見ですが、電車の中とか、人前で漫画を読む男性って、かっこわるいと思う。あくまでも私の独断なので気を悪くした人がいたらすみません。でも、漫画は誰も見ていないところで読んで欲しいって思ってしまう。だって、漫画を読んでいる人の表情って、ページに描かれているキャラクターの表情そのまんまなんだもん。読んでる人は気づかないかもしれないけど。昔、ある漫画家のインタビューで、彼女が、漫画を描いている時は描いているキャラクターと同じ表情しながら描いてる自分に気づくんです、というようなことを言っていた。

 人様に読んでいただけるほどの出来にはなかなかならないのですが、小説を書いています。芽が出る出ないに関わらず、人の評価にこだわらず。初めて物語を書いたのは小学生の時、原稿用紙に。高校生の頃は、受験勉強をしている振りをしながら、机の引き出しに忍ばせた横書きノートに。
 20代の半ばを過ぎて、同人誌や物書きをしている先輩達の仲間に入れてもらい、自分の書いた作品を人に読んでもらう形にするために、ワープロで入力することを始めてから、しばらく、「書く」ってどういうことなのかな、と、自分なりに模索しながらやってきた。
 数年前に、「文学界」という文芸雑誌上で、書家の石川九揚氏の論述が契機となり、しばらく、「ワープロか、手書きか」という論争が続いた。何十人もの現役作家に、小説を書く際何を使って書くか、なんてアンケートまで採って掲載された。それを読んで思ったのは、文章を書くスタイルは人それぞれなんだなあ、ってことで、別に、紙に文字を書くという行為に普遍的な意味が込められる(小説に関して言えば)わけじゃないんだってことだった。手書きにこだわるひとはこだわるし、こだわらない人はこだわらない、ワープロだからといって中身の薄い小説になる、というわけではない。
 ただ、拙い文章ばかり書いている私だけど、私は、小説の場合、まず手書きです。原稿用紙に、鉛筆書きです。いきなりワープロだと、言葉が上滑りして脳みそより先に指先が思考してしまう。ストーリーを追ってしぜんと先へ急いでしまう。結果として、話の筋だけに重点が置かれて、行間から湧き上がってくる文章の生命力のようなものが、作品に感じられなくなってしまう。もちろん、ここに書いている日記は画面に向かって思いつくままにキーを叩きますが、小説の場合は、原稿用紙を真っ黒に埋める行為の繰り返し。書いた文字に線を引き、隣に小さく候補の言葉を並べ、こうと決めた表現を楕円で囲み、つぎはぎだらけの文章を、パッチワークよろしく並べ替え、膨らませ。。よく言われることだけれど、ワープロだと、文章を修正して更新してしまうと、修正する前の部分は消えて残らない。原稿用紙だと、あとで読み直して「あ、やっぱりここは最初に書いたのでいいや」と元に戻したり、文章の変化の過程を追うこともできるけれど、ワープロだとそうはいかない。いつも最新の文しか残らない。
自分の書いた作品をしつこく練り回すのが好きなのと、ゆっくり立ち止まりながら書く性格なので、原稿用紙に鉛筆書き、というスタイルが一番私に合っているようです。
 でも、手書きの大切さに気づくまで、あーでもないこーでもない、と、ワープロ書き、手書き、交互にしてみたり、それなりに試行錯誤でした。そのうち、ワープロで書いた文章と、手書きの文章では、自分の場合、呼吸というか、リズムも異なるということが分かり、書くモノの性質によってワープロ、手書きを使い分けるようになりました。今は、小説を書く場合は、まずは手書き、最後の清書だけワープロです。

 とりとめもなく書いてしまいましたが。。。。。
 デジタルなことに興味を示し、手を出しつつも、捨てちゃいけない大切なことも続けていこう、と、思っています。
 


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