あたろーの日記
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2003年11月24日(月) 『江戸の性風俗』

 『江戸の性風俗』(氏家幹人/講談社現代新書)を読んだ。副題は「笑いと情死のエロス」。
 江戸に関する本を片っ端から読みまくっている。とにかく江戸が面白く、魅力的。とりわけ今年は江戸開府400年記念の年なので、江戸が一段と注目されていて、江戸好きな人間には嬉しい。
 学生時代、発掘をしている時、古代の遺構や遺物が出てくるととてもわくわくしたのに、近世のものが出てくるとつまらなく思えた。近世考古学を専攻する学生もまだ少なかった頃のことだ。実を言うと、今住んでいる巣鴨に、一時期発掘に通ったことがあった。掘っていたのは近世の植木屋の屋敷跡。今の私からすればとてつもなく魅力的な調査だったのに、当時の私ときたら土の中から出てくるのが磁器やすり鉢や泥面子ばかりなのにちとうんざりしていたのだ。なんとバチアタリな。そんな私が今は巣鴨に住んでいる。杉並から巣鴨に転居したのは実は江戸についてもっと勉強しやすい環境を求めてでもある。中山道の入り口でもある。江戸東京博物館にも、神田古書店街にも行きやすい。江戸情緒と適度なおっとりさ加減が巣鴨の魅力でもある、なんて勝手に思ってます。
 えっと、本題に戻ります。
 『江戸の性風俗』。
 性は、人間にとって避けて通ることはできない問題。それを必要以上にタブー視し、暗い箱の中に隠してしまおうとする現代の道徳観とはまったく異なる江戸時代の人々の、性に関する話題のおおらかさ。それは決して自由奔放ということではなくて、例えば名のある武士の家庭で、家長と妻と、老いた母と息子と、その親族や使用人達が、あからさまな性の話題に皆で腹を抱えて笑い合う、そういうくったくのなさ。「性」を連想するものから子供を必死に遠ざけようとする現代人からみると、羨ましいほどにのびのびとしていると思った。もちろん、全部の家庭が性に関しておおらかであったとはいえないだろうけど、総じて当時は生きていく上で必要不可欠な性についての話題に開放的であったらしい。
 本書では男色についても述べられている。男色、同性愛というととかく偏見されがちな現代とは異なり、当時は大名同士が恋愛関係になったり、それなりの地位にある者が幼い少年をそばに侍らせて可愛がり、自分の信頼のおける従者に育てていく、など、とてもポピュラーな形だったとのこと。むしろ子孫を残し、家系を守るという必要性がなければ、武士にとって、女性より男性のほうが恋の相手、性愛の相手として魅力的な要素が多かった、そういう時代もあったそうだ。次第に女性が美しく化粧し、着飾るようになったこともあり、時代は女色のほうへ動いていったらしいけど。
 現代では幼児や子供を性的な対象とみなし、いたずらなど危害を加える輩が社会問題化しているけど、それはどうやら成人の女性を対等な恋愛対象として見ることができない男性の屈折した内面が原因かと、そんなことを聞いたことがある。江戸時代の男色はそれとは異なる。「女性を相手にできない」というのとはまた別で、相手が男同士だからこそ、恋愛以外のものも連関してくる、まさに命がけの恋であったという。武士道と男色が密接に関係していた時代もあったそうだ。
 性を取り巻く言葉の問題にも触れている。これがまさに目から鱗で、とても示唆性のある内容だと思った。
 例えば「不倫」。今でこそ、結婚した同士、あるいは片方が結婚している場合の婚外にある恋愛関係と、限定された使われ方しかしていないが、昔はもっと広い意味があった。「不倫」はもともと「ふさわしくない、不適切だ」という意があり、未婚者同士の恋愛や、恋愛や男女間以外の場面でも使われていたとのこと。現代では「不倫」という言葉が男女の特定の関係に限定されている。
 さらに、「肌を合わせる」という言葉。これは、何も性的な関係を示唆する意味に限定されていなかったそうだ。昔の人は今よりもっともっと人間同士の距離を密にしていて、「肌を合わせる」というのは、そういうことができるほど信頼できる相手だ、という意味を含んでいたという。例えばある武士が他の武士を指して、「あいつとは肌を合わせることなどできない」と言えば、それは男色の否定ではなく、その相手が腹を割って話せるような信頼できる人物ではない、という意味になる。
 昔はそれぞれの言葉の持つ意味は、もっと多様で、広がりを持っていた。
人々は言葉に対して柔軟で、想像力があった。言葉は生き物で、変化していくものだけれど、語義が失われて、それぞれの言葉の中にある可能性が狭くなっていくのは、日本語にとって不幸だなあと思った。
 新書だから、誌面の都合もあり、著者の語る量も限定されているけれど、氏家氏の性風俗に関する著作は他にもあるので、また読んでみようと思う。
 


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