あたろーの日記
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2003年11月22日(土) お江戸寄合と天下祭

 江戸開府400年記念事業の一環として開催された「お江戸寄合」(全国街道交流会議主催・日比谷公会堂)に行ってきた。
 二部構成で、第一部はシンポジウム、NHKの松平アナウンサーを司会に、脚本家の市川森一、エッセイストの高橋千劔破(ちはや)、徳川宗家第18代当主の徳川恒孝の各氏が、江戸時代の、江戸と各地の文化交流の橋渡し役であった街道とその周辺について語り合う。シンポジウムというよりもっとリラックスした雰囲気、談話会、という感じ。それぞれに江戸文化を長く見つめてきた方々で、どの話も面白く、とても1時間半では足りない。もっと話を聞きたかった。
 よく言われているように、家康が江戸で幕府を開くまでは江戸は葦原茂る土地であったというのは嘘で、実は、それ以前から江戸は着々と都市として整備されていたらしい。北条氏王国をそのまま頂戴する形で、家康はしっかりした都市構想を持って江戸に入り、すでに都市として体裁を整えつつあった江戸から地方への街道をすぐさま整備し始めたとのこと(高橋氏)。
 参勤交代は各大名達とその民達に大きな負担を強いて、各藩の財政を圧迫したことから批判的に捉えられがちだが、参勤交代の一行(武家だけでなく、お抱えの職人等さまざまな人達も同行)が各街道の各宿場を滞在しながら江戸に向かう道中で、いろんな土地との交流が生まれ、そこで文化が混ざり合い、さらに江戸での滞在中も文化交流が行われ、参勤交代によって文化が攪拌されたことは大きな意義があった。例えば「わが藩の大根は漬物にすると旨くないが、この藩の大根は旨い、どうしたわけか」というようなことから芸能にいたるまで、さまざまな段階で文化がシャッフルされた(市川氏、高橋氏)。
 江戸時代の鎖国は日本を世界の発展から大きく隔て後退させたとマイナスに評価されがち。けれど、長い江戸幕府の時代で、武器の発達が見られなかったこと、入鉄砲に出女、と厳しかった関所はあれど、一般のしかも女性も現代より頻繁に安全にひとり旅ができたほど平和な時代であったことを再評価すべきである。争いのない平和な時代だったからこそ、旅人が頻繁に行き来して街道がさらに発達し、人びとの心が豊かであった(徳川氏)。
 日本人が西欧人に比べて大の旅好きであると当時シーボルトなど日本に来たオランダ人が驚いている。彼らは、街道、街道沿いの宿場、それから旅をサポートする人達(籠屋)やグッズがよく整備され、揃っていることが、これだけ旅好きなお国柄たるゆえんで、心が豊かで自由な人びとだと書き残している。戦争がもたらすものは貧富の差である。戦争のなかった江戸時代の心の豊かさを今一度見直すべき(高橋氏)。
 ・・・と、ほんとはまだまだ語られたことは多いのですが、書ききれないのでこのあたりで。
 
 第二部は「江戸錦街道絵巻」と題して、「鈴鹿馬子唄」に始まり、「薩摩藩妙円寺参り」(伊集院太鼓)、「熱海湯汲道中」や「ぶり街道行列」「皇女和宮行列」などの再現。
 それぞれに趣向を凝らし、扮装あり、忠実な再現ありと、とても楽しめたし、勉強になった。

 日比谷公園では、同じく400年記念行事の一環として、「江戸天下祭」が行われていて、諸国物産展と、江戸の祭りの華であった「江戸天下祭」を再現すべく全国から江戸に里帰りした山車を公園内で引き回していた。24日(月)の昼間には、当時のルートでさらに多い数の山車や神輿が日比谷周辺を練り歩くそう。それを見に行けるか分からないので、嬉しくて会場のあちこち回ってデジカメで撮影し、合間に携帯のカメラでも撮って写真日記にも掲載しましたので、興味ある方はご覧くだされ。
 天下祭とは、江戸時代に、神田祭と山王祭の山車や神輿の行列が、毎年交互に江戸城に入っていく、とても豪華で盛大な祭りだったそう。
 今回、青梅市、埼玉県川越市や熊谷市などから、江戸時代に江戸から散逸し、引き取られ、各地方で大切に受け継がれてきた山車が里帰りしてこの再現天下祭に参加している。天保年間に作られたものも。
 山車のてっぺんには弁慶や武内宿禰などのリアルな人形がついて、その下で鐘や太鼓や笛のお囃子が鳴り響き、おかめひょっとこ、狐が激しく舞い踊り、周りをねじり鉢巻にはっぴ姿の曳き手達が煉り足で山車を曳いていく。
豪華絢爛とはまさにこのこと。そこに粋といなせがくっついて、祭りのもつ神々しさと猥雑さが加わって、人々の熱気が乗っかって、現代なんだけど私は完全に江戸時代にタイムスリップしてました。今は山車も電気の灯りで飾られてるけど、江戸時代はどんな感じだったのか。でも、山車や御輿を囲む人々のわくわくした表情はきっと今も昔も変わらないと思った。お囃子のリズムに自然に体が反応し、担ぎ手曳き手と見る者問わず一体感が生まれ、怪しい踊りのおかめひょっとこ狐狸に心が呼応し、引き込まれていく。祭りのパワーは、人の心の中の普段大人しくさせられている部分を引きずり出し、高揚させてくれる。そこに、祭られた神々との接点もまた生まれるのだなあと、実感した。山車の上の狐の仕草に夢中になって見ていると、隣のねじり鉢巻はっぴの「ねりきち」姿のおじさんたちが「ねぇ、きんきらぴかぴかきゃーきゃー(・・・なんとなく言いたいことは分かる)よりも、こっちのほうが何倍も楽しいよねぇ」と話していた。「お姉ちゃん楽しいかい??」・・・あ、なんだ、さっきから私に話しかけてたんだ。「はい、凄いですね。楽しいです」「もっと前に行きなよ、狐が手ェ出してくれるよ」と、おじさん、コーフンして手振りつけたらそのはずみで持っていたカメラの袋が地面にガシャ(いや、私のじゃなくておじさんの)。でもおじさんお構いナシではしゃいでた。
 江戸庶民の大きな楽しみのひとつであった天下祭。天保の節約政策のあおりを受け、また火災による消失の際の建直し費用の問題、また都電の開通で電線が張られたりしたことなどから、大きさと豪華さを競った山車も次第に姿を消し、各地方に引き取られていったとのこと。
 今回の祭の復活のために、5年前から天下祭の本家本元の神田明神や日枝神社の氏子達と、流出した山車を持つ各都市の人々が協力して準備をしてきたそう。できれば、これから毎年、もしくは2年に1回くらいの割合で、この祭を再現して欲しいなあと、最後に露店で買った大盛りの焼そばをぱくつきながら思ったのでした。
 24日に行ける方はぜひ!おすすめですよぅ〜。
 おすすめのサイト「江戸ネット」http://edo400.net/
 天下祭についても詳しく載っています。

 


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