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2003年04月07日(月) 慣らし運転と巨大ショッピングモールと飛行場と

鉄腕アトム生誕の日。

春到来とはいえまだ少し寒さが残る平凡な昼下がり。お天気は晴れ。
納車当日にちょびっとだけ乗ったヴィッツたんの慣らし&練習勝手ら尼崎へ。

勧修寺から大津淀線で藤森を経て竹田へと抜け、南インターへ。見慣れた風景ながら何となく新鮮に感じる。ループ勾配をぐるっと半周して名神高速へと乗り入れる。うわっ、めちゃくちゃラクに走れるやんっ。排気量660ccの軽自動車と1.3Lの普通乗用車を比較する事自体がナンセンスだが、ミラで高速に乗ってた時はどうしても加速時にその非力さを感じさせられたし、走行中エンジンからは悲鳴にも似た音が聞こえてきたもんだが、当たり前ながら今度のヴィッツにはそれがない。チェイサーはあっという間に高速度域での巡航に達してしまってある意味怖いがヴィッツにはそれもない。加速に難あり、との評判だが、実に自分のペースでまったりと高速走行できるクルマだといえる。約40分で尼崎インター着。もう少しこの高速走行を味わいたいな、とすら思える名神処女走行を終える。

ところで何故唐突にこのアマの地へやって来たかというと、この新車の窓ガラスに撥水加工を当地の友人のやってる洗車屋さんにて施して貰う為。往復の燃費や高速代を考えるとそんなに得する訳でもないが、どうせするならやっぱりタダがいちばんだし、信頼できる人間にやって貰った方が安心だし、此度の相棒のお披露目もやりたい。そんなこんなでアマまでやって来たはいいが、クルマを預けてしまえば何もする事がない。過去に何度も来ているので周辺は散策し尽くしているし、そもそも何もない場所である。仕方がないので近くの駅まで送って貰い、福知山線で伊丹へと出てみる。目的はダイヤモンドシティ・テラス。

私は史跡や町並みを見て回るのも好きだが、ショッピングセンターをうろうろする事をそれ以上に好む。京都近郊は勿論、出掛けた先にその手のものがあれば大津だろうが加古川だろうが光明池だろうが足を伸ばす。てな訳で、尼崎北部を訪れて暇をもてあそぶとなれば必然的に行く先はダイヤモンドシティとなった。

伊丹の駅を出て立体歩道橋へ。うっわー、えりゃあ人ゴミ。いざ、その前方にそびえ立つ建物の中へと潜入。でかっ。外からみた感じでは最近各地でぽこぽこ建っている大型ショッピングセンターと大して変わらない気がしていたが、実際中に入ってみるととてつもなく巨大なシロモノだ。みていて壮観。欧米の大型ショッピングモールってのはきっとこんな規模なんだろなー、とふと思った。そしてどこを見渡しても人・人・人。始業式の日の午後とはいえ、老若男女がそこかしこにひしめき合っている。思わずつかしんに同情してしまう。ここも年月が経て老朽化し、近くに同じ様なモールが出来た暁には閑散としてしまうのかもしれないが。

そんなこんなで北から南へ、地上から最上階へとウロチョロしてみる。床の絨毯がなんとも心地良い。そこかしこに長椅子が置かれているのもグッド(余談だがテナントの本屋にも一人掛けの椅子が置いてあった)。30代の子持ち女性がターゲット、と開業当時のニュースで言っていたがこれなら年齢層問わず集客しているのもうなずける。通路には小物を扱う屋台が出ていて博多のキャナルシティを彷彿とさせる。兎に角物凄い活気がそこにはあった。

が、活気があまりにもありすぎてひどく疲れちまったよ。人が多すぎて自分のペースで歩けない。物凄く空腹なのにどこも激混みで食事にありつけない。まだジャスコ部分が未見ではあるが、僅か半時間の滞在でヘロヘロになりながら駅へと戻る。

さて困った。まだクルマを取りに行くには2時間ばかり早すぎる。残り時間をどう活用したらいいもんかいな。近所の武家屋敷?それとも梅田か三宮に出る?あれこれ思案していると頭の上をジャンボジェットが通過していった。そうだ、空港へ行こう。Let's go KUKO. ジャン、ジャン♪愛っを捨てっないでぇぇ〜

ところで飛行場へ行くと決めたはいいけれど、行き方が皆目検討つかない。漠然と頭の中に地図を描いてみても池田・豊中との境目にあるから駅の東にある、という事しか判らない。歩いたら結構遠いだろうな、でも川西か梅田から乗り換えて蛍池に出るのも馬鹿らしいしなぁ、それならタクシー使った方がいいかも、そーいや尼崎からエアポートリムジンがあったような...、とふと路線バスの存在を思い出した。確か、JRか阪急のどっちかの駅と飛行場を結ぶのがあった筈……。

果たして、駅舎の階段を降りてバス乗り場に向かってみるとでっかく「空港ゆき」と書かれた看板があった。しかし、停留所の表示を見てみると阪急伊丹へ行くのか大阪空港に向かうのかよく判らない。ん、ひょっとしたら道路の反対側のバス停かな?でも空港って確かに書いてあるしなー。詳細を路線図で確かめようとしたところでバスが滑り込んできたので思わず乗る。結果、それは数百メートル先の阪急の伊丹駅へと走るバスなのであった。がーん。

数分後、本日もご乗車ありがとねー、てな旨のありきたりな終着アナウンスが流れる。うわー、200円損したぁ。これから往復するとしたらバス代600円かよ、と妙にセコい悲しみが全身を襲う。うーむ、何とかせねば。「あのー、このバスって空港には行きませんよね?」としらじらしく運転手さんに尋ねてみる。すると「そうですね、このバスは次が終点ですし。乗り間違えですか、そしたらこのバスは折り返しで空港行きになりますんで降りはった場所で10分程待っといて下さい。」と即答で返ってきた。有り難う、運転手さん。ちなみに復路に乗ったバスの運転手さんも非常に愛想が良かった。発車時刻も電波時計できっちりゼロを刻んだのを確認していたし(両方とも運転席の後方の座席だったのでよく見えた)、全国的、いや今や国際的に評判の悪い我が街の公営バスとはえらい違いである(誰じゃ、伊丹だって某容疑者を排出してるやん、とか言ってる奴はっ)。

震災ですっかり変わってしまった駅とその周辺を眺めて前述の運転手さんのバスへと再度乗り込む。どうやらこの系統、阪急伊丹から伊丹空港を経て阪急伊丹へと戻る循環型の路線らしい。ほたらあそこに「空港ゆき」の看板出すなよ、と自分のそそっかしさを棚に上げていると懐かしいJR伊丹に。ところがバスは減速する事もなく駅前を通過。はて、駅だから拠点停留所扱いなのかと思ったらえらい冷遇されてんのね、等と駅舎を眺めているとバスがいきなり右折して車庫の様な場所(発車待ちらしいバスが数台停まっていた)に突入。えっ、と驚く間もなくその場でバスは転回して左折し、私がさっき乗り込んだバス停でお客を吸い込んだ。なるほど、こういう仕組みだったのかー。普段利用している人々はいちいち道路を渡らずとも阪急伊丹or伊丹空港ゆきのバスに乗れて便利だけども、余所者にはちいっと判りにくいような気もする。もう少し案内表示を増やしてちょんまげ。

猪名川を越えて東へ進み、飛行場の地下をくぐった後、阪高池田線の高架沿いに北上したバスは伊丹駅を出てからきっかり25分後にターミナルビルの前に到着した。親切な運転手さんに丁重にお礼を言ってバスを降りる。うーん、何もかもが懐かしい。国際線ターミナルが全日空系列のターミナルになり、目の前にモノレールの駅が出来た以外は殆ど変わっていない。流石に旧国際線ターミナルの免税店や外貨両替所はなくなっているが、ガラス張りのレストランや旧国内線ターミナルの土産物店等は昔のまんまである。はしゃぐ心を抑えつつ、暫く建物内をウロウロしてからおもむろにエレベータで屋上に向かう。

空港展望台。幼い頃、海外出張に赴く父を見送りに幾度となく訪れた伊丹空港の展望台。当時とは少し場所が違うが(確か国際線ターミナルの寂れた階段を上がり、途中にある機械に50円玉を放り込むと金属のバーが回転して屋上に行けた)、目の前に拡がっているのは紛れもなくあの頃に見ていたのと同じ風景である。ますます心が弾んでくる。やっぱり自分が旅客機に搭乗するよりも、童心に返ってヒコーキを間近で眺めている方が何万倍も楽しい。滑走路をフルに走ってからおもむろに飛び立っていく小型機があるかと思えば、離陸姿勢に入ったかと思ったら一瞬ですっと空に上がるジャンボ機があったりと全く飽きが来ない。1km程先にある消防署の全車両がいきなりヘッドライトを点灯し回転灯をピカピカ光らせ出して“なんじゃ、燃料切れかなんかのトラブル機が急遽ここに着陸するのか?!”と思ったら数分後に何事もなかった様に消灯するのもあの時のまま(これ、一体何なのかご存じの方がおられましたら是非ともご教示下さいませ)。繰り返しになるが、本っ当に何もかもが懐かしい。私は以前ここで書いた様にKIX開港したからには伊丹廃止、神戸建設などもってのほか、という考えだが、やっぱり伊丹残しとくべきかも、とさえ思えてくる(まあ、我々京都人からすりゃそもそも伊丹の方が遙かに便利な訳なんだけども)。

そんなこんなで航空機の離発着や貨物の搬入作業、給油作業に牽引作業をひたすら眺め、あっ、レインボーセブンや、えらい油膜だらけの窓やなー、めっちゃギラギラしてるやん、とか思っていたらあっという間に90分以上が経過し、クルマの受け渡し時間に大幅に遅刻したのでありました。やっぱり時間潰しってえのは手近なところで程々にしとかにゃあきまへんな。


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