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2003年03月10日(月) 広島で民間出身校長が1年持たずに他界

尾道の高須小学校で、同校の慶徳校長が首を吊って亡くなっているのが発見されました。ポータルサイトのトピックス欄に「民間出身の校長が自殺」ってなタイトルがあったのを見た時にたぶん広島やろな、と思ったらやっぱり広島でした。これで何人目なんやろ...。

広島、特に県東部は「狼と七匹の子やぎ」とかひな祭りのひな壇なんかが“みんな仲良く”という理念に反するとして否定されたり、終わりの会で児童同士で批判合戦をさせたり、と色々と凄い話しを結構耳にします(実際に見た事ないので誇張されすぎなのかも知れないけれども)。恐らく、この校長先生も同県生まれで地元銀行出身なのだから、該当地域がどういう土壌であるのかを重々承知された上で赴かれた筈。それでも1年持たずに命を絶たれたという事は当地は相当酷い状況なんだろうな、というのが余所者の私の素朴な感想です。

それにしても、ここ数年で私が覚えている同県名物ゾク関係や先日の中川家関連を除いた広島発ニュースを挙げてみれば、養護学校長の自殺と見られる突然死、韓国謝罪修学旅行、美人教諭一家神隠し後ダム湖底で発見事件…、と教育関連の暗い話題ばかり。もうひとつ、小学校でウサギが大量惨殺された事件があったなー、と思ったら今回の高須小での事件でした。これは絶対に何かがあるぞ。近畿圏外に在住の方にはあまりピンとこないかも知れないけれど、これらの事件・出来事や広島という地域属性を絡めていけば自然と幾つかのストーリーが脳内を流れていきます。同じ様な印象を持っている人は決して私だけではないでしょう。

話は変わって、この事件の続報で、この校長先生は自分の挨拶に返礼しない教員らがおり、先生達に自分の思いが伝わらない、先生達の考えが判らない、と市教委やPTA役員に相談していて、投薬による鬱治療を受けていた、というものがありました。これが原因のひとつである事はほぼ間違いないでしょう。運動会の後片付けを校長ひとりに押し付けていたという情報もありました。私的にはどうしても、着任早々に職員会議で吊し上げられ、事ある毎に教員達や外部団体に一筆書かされて最後には卒業式の国旗国歌問題を苦にして自殺してしまった4年前の世羅高校石川校長先生の一件が重なって仕方がありません。勿論、放り込んだ後は現場の事態を予想出来ながら、教頭が二人立て続けに休職するという異常事態になっても殆どフォローをしてこなかった県教委・市教委の責任はかなり重いけれど、校長を死に至らしめるまで真綿で締め上げる様にして追い込んだ一部の排他的教員の罪は同じ様に重い。

それから、のおはなし。翌11日に広島県教組(日教組から分離した県全域で40%の組織率を誇る組合だそうな)が「民間人校長の拙速導入反対との申し入れを無視した結果、校長を死に追いやった」なる旨の抗議文を県教育長に提出、あくまでも民間出身校長のメンツにこだわった県教委の姿勢を批判しました。なんだかなー。失礼ながら、“我々の縄張りを侵す者には容赦しない”てな感じで個人的には受け取ってしまうんですが。まあ、校長をいびり倒したと思われる(←現時点では全く証拠はないけれども)教員が全教系の組合員やどこにも属していない人間である可能性、自殺の要因が教員以外のものである可能性も大いにあるかも知れませんが、まだ亡くなられた校長の初七日どころかお葬式も済んでいない段階で、弔意も哀悼の意も示さず県教委に抗議するという政治的行動を行っているのは如何なもんなのかと強く思います。

で、まあ広島・自殺(変死?)・卒業式という三点が揃うからには国旗掲揚・国歌斉唱も当然絡んでくるんでしょうが、なんでこんなもんで人が大勢命を落としたり身体を患ったりしなくちゃいけないんでしょ?私自身の国旗・国歌観なんて、日の丸はシンプルだなぁ、君が代は歌詞はよう判らん(強いて言えば“永遠の愛”がテーマかな)しメロディは陰気くさいし息継ぎしにくいなぁ(というか、学校の音楽の授業で習った事ないし、聞く事は多々あれど自身が歌った事なんてないや)、という程度。何故にちょっと入学・卒業式で日の丸掲げて君が代鳴らす(しかも歌う人少ない)程度の事に膨大なエネルギーを注ぎ込むのかなぁ。強制する側はこんな事よりも学級崩壊やらエロ教師やら抱えている問題への対策をもっと練るべきだし、抵抗する側も式での国旗・国歌ごときでライトウイングな道に突っ走る奴なんてまずいないんだし、いちいち精神の自由の侵害とか騒ぐ必要もないと思っちゃうんですが。こと、広島に関して言えば、君が代を一緒に歌った先生が授業から外されて何ヶ月も反省文ばかり書かされたり、国旗を掲揚しようとする校長・教頭を独裁者呼ばわりしたり、と反応が異常過ぎやしないかと思います。それに、教員が自らの思想信条に基づいて日の丸を掲げさせない、君が代を歌わせない、というのも生徒に対する立派な強要だと思うんですが……。普段、人権や平和の大切さをこれでもかと叫んでいるにも関わらず、結果として校長を板挟みにして苦しませて殺す人達の教育理念ってどういうものなのか知りたくて仕方ありませんし、挨拶もまともに出来ない教諭に教えられる児童が可哀想でなりません。

それにしてもこの事件、広島教育界の特殊性もさることながら、メディアのスルーっぷりもかなり異常だと感じますな。また広島で校長が自殺、という事でどんな報じられ方がされるのかな、と思ってテレビをじーっと観ていても、ちょろっと流れるだけ。Nステにチャンネルを合わせていたら一向にやらないでスポーツコーナーへ。なんじゃこりゃ、とN23に変えてみると「校長はどうして自殺したのか」という風なナレーションと共にジングル。おっ、恐らく反文科省的視点で否定的な報道しかしないと思っていたのに流石は23、事件背景に切り込んで本格的にやるんやな、と思ったのも束の間、フラッシュニュースの中で少し触れられただけというその他のニュース扱い(というかニュースバードで観たのと同じ事実報道のみ)。うーん、やっぱ筑紫さんは何年か前に(中略)から踏み込めんのか...。公的機関が腐敗した時にその状態を皆に伝えるのがメディアの崇高な役割だと思うんですが、この国のメディアもやっぱり腐りつつあるんだな、と再認識した次第でございます。消費者金融のCMはバンバン流せても深刻な問題提起はやらないしある種のタブーには決して突っ込まない、と。みんな自分がカワイイもんねー(かくいうワタクシメも決して人の事は言われへんが...)。

妄想混じりの私の戯れ言はさておき、この件、県警や県教委、そして文科省は絶対に真相究明して頂きたいと強く望みます。これ以上犠牲者が出ない為にも徹底調査して教育現場の膿を除去して欲しいもんです。

最後に、亡くなられた慶徳和宏校長先生のご冥福をお祈りいたします。   合掌


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