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2003年01月15日(水) あの惨状を語り継ぐ

震災8年、今年の1月17日の雑記を締めくくるに当たって今一度自分自身に言い聞かせておきたいのは「震災の風化」という一語に尽きる。別に身内や友人に犠牲者が出た訳でもないし、96年頃に少しだけ仮設住宅に関わった程度でそれ以降は全く被災地・被災者との縁もない訳だけども、やっぱり自分の住む場所から数十キロしか離れていない場所でのあの惨状を、テレビで間接的にとはいえ目に焼き付けた者としては、あの数日間の出来事は忘れる訳にはいかない。くどいけれどもこの地震列島に住んでいる以上、日本人は皆他人事ではない。無論、この阪神・淡路以外にも大地震の被害はいちいち例を挙げるまでもなく過去に何度も記録されているし、大火・津波・雪崩・崩落・・・と自然災害による犠牲者、そして各種の大事故・大事件による犠牲者数も膨大であり、いちいち気にしてたら毎日がなにがしかのメモリアルデーになってしまう。でも、特別扱いする訳ではないけれど、天災の記憶として、そして人災の記憶として、都市型災害の象徴として、為す術なく被害が拡大していった教訓として、この1月17日の記憶だけは後世に語り継ぐべきだと私は強く思っている。

こんな事を偉そうに書いてはいるが、私自身もこの震災を強く意識するのは阪神間の車窓を眺めて空き地を見つめる時程度で、1月に入ってこの日が近づくまではまったく潜在意識の隅に追いやってしまっている。これまでは、1月17日の5時46分が近づくと自然と目が覚めて、テレビの前で西の方を向いて一緒に黙祷をしていたが、ここ2年間はグーグー眠っていた。やっぱり心の中ではもう何となくどうでもいい事になってるんだろうな、この偽善者め、とつくづく思う。

実際に被災されて近しい人を亡くされた方々にすれば、あの忌まわしい出来事を思い起こさせるだけだし、震災をクローズアップして引きずるのは酷なだけかもしれない。でも、それでもやっぱり阪神・淡路大震災というものが残した様々な問題や感情を被災地の外へと大々的に発信していく事は必要であると私は信じる。天災は本当に忘れた頃にやってくる。だけど、今なお苦しんでいる被災者にスポットを当てたドキュメンタリーを真剣にみる人間なんてはっきり言ってそんなにいないだろう。かと言って簡単に「目に見える震災」なんてもう存在しない。そういう意味で、せめてこの1月17日という一日だけは毎年あの震災の記憶をそして課題や教訓を呼び起こす日としてメディアには大きく扱って頂きたいもんである。東遊園地の1・17の炎を移しながら「犠牲者の数だけ用意された竹筒に・・・」「今なお多くの人が生活を復興できずに・・・」とナレーションを入れるだけでも、当時の生々しい記憶を再生し、未だに進行形の震災を伝える大きな効果がある。10年の節目となる再来年は兎も角、来年は今年以上にメディア上では小さな扱いとなるだろうけど、この1・17の記憶はいつまでも大事にしなければいかんな。

震災の記憶を後世に残し、改めて我々の記憶を呼び覚ます、という意味では「しあわせ運べるように」ほど最適なものはないだろう。プロの女性歌手が歌ってる方のはそうでもないけれど、小学生が「ひびきわたれぼくたち〜のうた〜」とこの歌を合唱しているのを聴くと私はパブロフの犬状態で涙がボロボロ出てきてしまう。すっかりお馴染みとなったこの歌は、神戸の市立小学校の音楽教諭である臼井真先生が避難先で涙ながらに鉛筆で走り書きして作られたそうで、その歌詞とメロディからはその当時の感情の重みがひしひしと伝わってくる。神戸のみならず全国の小学校で何十年何百年と歌い継がれて欲しいと思う。下にその歌詞を掲載して(この曲ジャ○ラックとは無関係よね?)、脈絡なく同じような事ばかり書き殴ってきた今年の1・17の雑記を終えたい。

♪しあわせ運べるように     作詞・作曲:臼井 真

 地震にも負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 支え合う心と明日への 希望を胸に
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

 地震にも負けない 強い絆をつくり
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 やさしい春の光のような 未来を夢み
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように


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