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2006年01月30日(月) 『ラッセルのパラドクス』その2

三浦俊彦氏著『ラッセルのパラドクス』についての続きだが、第9章「心と脳は同じものなのか?」も非常に面白い。
“私”、“心”、“物質”、“意識”などをラッセルはどう捉えていたか。この章では汎哲学的問題であるこれらについて、ラッセルの独特の見方を紹介している。
私のラッセルについての勉強(“研究”には程遠い)は記述理論で終わっているが、それでも、唯一、アメリカで研究を続ける兄の論文が、日常の中にわずかながらではあるが思考する時間を与え続けてくれた。ぼつぼつと20年以上。読んでは投げ出し、投げ出しては拾い、拾っては考え、その繰り返しを続けさせたのはまさにこの“心と物質と関係”のわからなさへのこだわり、なのだ。
『ラッセルのパラドクス』の中で具体的にどのように取り上げられているかはここでは語らない。興味のある方はぜひ一読されたい。

同書にも紹介されている中性一元論を唱えた心理学者ウィリアム・ジェイムズの論を改めて読んでみたいとも思っている。
平凡な一生活者である私にとってモノや心をどう解釈したらよいかについて“悩む”場面は多い。つまり解決が必要なわけだが、一般に解決に有効なのは、哲学よりも心理学である。哲学的ものの捕らえ方が療法に応用され、見方によってはいいとこ取りされ、変形され、無遠慮に扱われる。ラッセルの記述理論にとても近いと思われる考え方が、心理学の一理論として取り上げられているのに遭遇したことがある。そこには、記述理論についてはもちろんだが、哲学やラッセルという言葉すらほとんど出て来ていない。しかし、“心の問題の解決”の役に立っていることは事実のようであった。“その場”が“どうなったか”で捉えて、“次の場”に移っていくのが日常である。つまるところ、いいとか悪いとかはあまり意味がない。役に立ったか否かで“次の場”が微妙に違ったりする。。ようだ。

この時期に同書に出会えたのは幸いであった。応用される前のラッセルの理論を捉えなおす時である。





Hiroko |MAILHomePage