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2002年07月17日(水) あ・うんの呼吸

たまたまある知人から「男性はあ・うんの呼吸と言うか、言わずにわかるを美徳にしているところがあるけれども、これについてどう思いますか?」という問いを頂いた。なぜこのような問いを頂いたか。おそらく私の「言わなきゃわからん」主義を知って下さっているからであろう。私の核心部分をよく突いていらっしゃる。嬉しいことだ。
というわけで今回はこのテーマをお借りすることにした。

「言わずにわかるは男の美徳」と言うのはよく聞く言葉だ。
良いとか悪いとかではなく、そういうものだという世代として私も育ってきた。
しかし待てよ、なにかヘンだ。言うのは誰だ?そしてわかるのは誰だ?
なぜ男の美徳なのだ?
何でも疑問符にしてよい昨今。こんな風に考えてみた。


まず、「言わずにわかる」は少し不自然な日本語だが、前に「お互いに」をつけるとわかりやすいと思う。「お互い多くを語らずとも理解しあえるのが男の美徳」ということであろう。

ということになると、この言葉は男性同士でしか使えないことになるのだろうか。
とてもそうは思えない。
逆に男性が女性に対して使う頻度のほうがはるかに多いのではないだろうか。
にもかかわらず、相手が女性の場合、男の美徳と付く限りこの言葉はかなり一方通行だ。
女性の意思は無視して「とにかく男はそう思っているのだ」とでも言っているように取れなくもない。
さらにまずいことに、多くを語ってお互いを理解するのが最善の意思疎通の方法だと思っている女性が意外にも多いのだ。
こういう場合、男の美徳はどこへ行くのだろうか。
後戻りだろうか、そのままひたすら突っ走るのだろうか。

相手が女性の場合には「言わずともわかってもらいたい男の甘え」という言葉が当てはまりそうで、返って孤独な男性像が浮かんでくる。
私は特別女性を弁護しているわけではない。
お互いにわかってもらいたいと思うのは男も女も同じことだ。
その方法にちょっとしたずれが生じることは大いにあるということである。


(ということで以下で「お互い」という場合、性別の区別はないと思っていただきたい。)

さて、「あ・うんの呼吸」「以心伝心」とはもちろんお互いに相手のことを理解している状態にあることを言う。しかし双方が本当にそう思える状態とはかなり稀なのではないだろうか。そして、これに至るまでにはやはり「語る」ことは必要不可欠だろう。

家族と話をしていて「あ、以心伝心だね」と口にしたくなるほど気持ちが通じたと思うことがあるが、この状態はその場限りで、別の場面では全く行き違いばかりということはよく経験する。つまり、ある人とある人が「あ・うんの呼吸」の関係にあるのではなくて、ある場面が「あ・うんの呼吸」の状態であった、ということなのだ。

お互い理解しあえる間柄というのは人間にとって大事なことだが、それは時間と共に流れていて常に同じではないと私は思っている。他人を時間を超えて理解できるほど人間は完璧ではないとも思う。大切な関係を保ち続けたいのであるならば、常にお互いが変わっていくという事を理解し、それに沿った努力をしていかなければならない。おそらくその努力ができる間柄ならば、少なくとも「お互いに言わなくてもわかる」一歩は踏み出していると思う。


Hiroko |MAILHomePage