再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 毎日新聞「もう一人のヒト」掲載記事。

青年劇場 戦争の狂気を描く「もう一人のヒト」
毎日新聞 2019年9月5日 東京夕刊

 青年劇場が没後25年となる飯沢匡の喜劇「もう一人のヒト」に、24年ぶりに挑む。戦争の狂気を、笑いを交えて皮肉る。今回は藤井ごうを演出に起用し、現代の観客に問う。

 太平洋戦争末期。悪化する戦況に動揺するある皇族一家と退役陸軍中将、そして一人息子が召集された靴職人の運命が、クズ屋に売り払ったあるものをきっかけに交わっていく。


 藤井は「被害者のようなふりをして、被害者じゃない人がいっぱいいる。人間ドラマとして味がありますが、その分、突きつけるものが強い」と手応えを語る。セリフ一言でさえ、一筋縄ではいかないという。言葉の向こうにある思惑を丹念に読み解いていく作業だ。「相関関係の持っていきかたがすごくうまい。演出にとっても教科書みたいな本です」

 初演は1970年。いまや客席には戦争を知る世代が少なくなった。「当時の時代の空気をつくり出し、客席とつなぎたい」

 14〜22日、東京・新宿の紀伊国屋ホール。問い合わせは03・3352・7200へ。【濱田元子】

2019年09月05日(木)



 タワゴト。

話しても話しても
通じない事はある。
投げかけても投げかけても
当事者としての名前が上がらない限り
自分は関係ないのだと想像を働かせない事はある。
繰り返し繰り返し
自分に向き合うことと準備について言っても
準備とゆうことの意味さえ考えない。
出番がなければ
必要ないですね
といったうえで、前後関係の芝居も、稽古場で行われるコンセンサスつくりにも耳をそばだてず、
台本に書かれた書き込まれた奥行きやら状況やらに目を向けず、言ったら意味すらスルーする。
うまくいかない事から目を背けてただ時間が経つのを待つ。
しゃあしゃあと、自分のキャラクターの説明だけに終始する。
想像の翼は人からの賞賛を受けるためだけに開かれ、閉じたまま開く身体を用意することもない。
その先立の姿勢が
如何に未来を考える若者の想像を固めてしまうのか。
限界を投げかけてしまうのか。


話しても話しても
通じない事はある。
だから何度でもこちらは投げかける。
あきらめず投げかける。
その先に広がる世界へ。
繰り返す。


想像主は自分で。
本当はクリエイティブな仕事を請け負えるだけの身体と心と頭の準備は当たり前にやっていなければいけなかった。その準備が表現として出てくるものを支えるのだ。
でも、そこを指摘されたら、仕方ない、
せめてその世界にくらいつけ。
その時からでも、人前に確信をもって立てる為の準備を始めよ。
想像することを、諦める人は、人の人生の数時間を奪う権利はない。

逃げるな、闘え
…と、今稽古している
戦時中の空襲時の
逃げるな、火を消せ!
とゆう間違った文言と、同じようなことを発しそうになる(苦笑)


最初の学校みたいなもので教わる表現の浅はか(もちろん、人前で必死に何かして、拍手をもらう瞬間は格別だけど)を、分かって、
表現者としてその先を見据えて、自分で考える能力を養うのだ、
とこの夏も請われて教えている。
方法→説明→実践→フィードバック→
を、繰り返しして、
で、台本の読み方、なり、セリフの捉え方、なりが表層でステロタイプなムードみたいなものから脱却することを目標にしている。
最終的には自分の演技は「自分で構成演出できる」表現者を目指し、その上で対応力も問われる。
もちろん理屈だけで簡単に出来ることじゃない。
「難しい」と簡単に言って、そこで思考停止する愚を避けよう。演劇なんて「わからない」ことを楽しみ、「何がわからないか」を露わにする媒体。
だからこそ自分の「なりたい自分」をちゃんと意識して、繰り返し、出会い、失敗し、怒られ、悩み、努力し、を続けていくのだ。

まだまだ、やれることはある。
自分で自分の可能性を信じられなくなっちゃいけない。


2019年09月01日(日)
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